米澤穂信『真実の10メートル手前』東京創元社

 この本は記者を主人公としたミステリ短編集です。彼女にかっこよさを感じるとともに私は真実とその差を埋めるものについて考えながら読んでいました。 

 収録されているのは以下の通りです。「真実の10メートル手前」「正義漢」「恋累心中」「名を刻む死」「ナイフを失われた思い出の中に」「綱渡りの成功例」。

 主人公視点の話数が少ないのでハードボイルド風というか、周りの人から見た主人公の姿が多く見えることもカッコよさを感じさせる一因だったのかもしれません。また、若竹七海さんの小説に登場する葉村晶という探偵を彷彿とさせるカッコよさのようにも思います。でも、彼女をカッコよく見せている一番の要因は、書く記事のスタンスです。

 「ナイフを失われた思い出の中に」という話数で主人公は自身が記者であることのアイデンティティを問われます。

 「ですがそこには、加工が絶対に必要なのです。」(p.226

 俎上にあがった手記について主人公はこう述べています。

 「最もやってはならないのは、当事者の言葉をそのまま伝えることです。」(p.226

 なぜ彼女がそう言ったのか、その理由は話数を最後まで読めば分かりますが、その訳がこのシリーズを通して感じられる彼女の記事が存在する意味に重なってきます。そしてそれは「そうであってもらわねば困る状態」(p.226)だという「真実」への差を埋めるもののように思います。

 彼女は自分の記事が存在することで、関係者に対して(意味合いとして)救われる道を残そうとしているように見える。

 「名を刻む死」では、自分の記事が存在することで世に表現される意味(メッセージ)をもっと直接的に語り手に伝えている。彼を救うために。

 こんな風に何かを救うために記者をしている姿は率直に言って格好のよいものです。でも、この小説では別の可能性も示唆されています。

 「いつか落ちるでしょう」(p.294)

 自分がやっていることを綱渡りに例えた上での発言です。

 落ちることなく渡りきった例だけを読んでいるからカッコよく見えるのかもしれない。小説として書かれなかった取材の中で関係者を救うどころか傷つけたケースもたくさんあったかもしれない。そんなカッコ悪い姿を思わせながらも、読後もつ彼女のイメージが依然として格好のよいものであるのは、その悪い部分をも含めて自身で引き受けているように見えるからかもしれません。