辺見じゅん『収容所から来た遺書』文春文庫

 「かつて社会主義運動に参加した本人が共産主義国ラーゲリに囚われている皮肉な運命に、山本にはさまざまな思いがあったはずだ。」(p.248)

 『収容所(ラーゲリ)から来た遺言』は太平洋戦争後、シベリア抑留で日本に帰れなかった山本幡男さんの遺書を収容所で共に過ごした人たちが普通では考えにくい手段で遺族のもとへ届けたことを扱ったノンフィクションです。

 「普通では考えにくい手段」(稗田阿礼を連想してしまいますが)について先日読んだ柳田邦男さんの『人間の事実』の中で知り、積読の中から引っ張り出しました。

 「ぼくはね、自殺なんて考えたことありませんよ。こんな楽しい世の中なのになんで自分から死ななきゃならんのですか。」(p.107)

 収容所での過酷な生活、劣悪な条件下での強制労働、つらくてしんどい日々が描かれています。そんな中でも、いつか帰国(ダモイ)が訪れるという希望を周囲に与えていたというか、希望はあるという空気をわずかながらでも保っていたというか、酷い状況を緩衝する存在として遺書の主は描かれています。

 「生きてれば、かならず帰れる日がありますよ」(p.58)

 そして、山本さんが確かにそういった存在であったということは、仲間たちが遺書や彼が詠んだ俳句などを届けたという事実が証明しているように思います。

 「みんなは『収容所は囚人を使っている口入れ屋家業だ』とささやきあった。」(p.109)

 「多年の重労働と栄養失調がみんなの身体を蝕んでいる。」(p.158)

 当時の現地での生活を現代の日本社会に重ねあわせるのは、程度が違うのかもしれないけれど、色々なところで目にしたり聞いたりする状況と文字の上では似ているように感じられて、山本さんがこの本で描かれたような存在であったことの周囲へ与えた影響を考えると、現在の社会の中でそういった存在があることにも意味はある、と思えてきます。

 フランクルの『夜と霧』の内容がどうだったか、もうあまり記憶にないのですが、思いながらも、現代にそういった存在があったとして、それを知っていて、類似の制約があるならば、自分だったら山本さんの仲間たちがやったような程度まで頑張って伝えようとすることができるのだろうかと読みながらずっと考えていました。

 

 「ぼくの考えを強いて命名すると、第三の思想と呼ぶのがふさわしいかもしれない。右でも左でもない第三の思想、全体主義にあらず、個人主義にあらず、東洋でも西洋でもないんだ。おそらくそれは、いずれきたるべきものであり、創造されるべきものなのだと思う。」(p.192)