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柳田邦男『人間の事実』文藝春秋

本の感想

 「しかし、個別の疑獄事件のメディアによる解明が進み、その都度疑惑の政治家の責任が問われるようになっても、不正なウラ金が横行する政治腐敗の根っこは、全く改革されていない。疑獄事件の続発が、そのことを何よりもよく物語っている。」(p.195)

 この本のことは、たしか里山社から出ている『井田真木子著作撰集』で知りました。井田さんと柳田邦男さんがこの本について対談した時のことが書かれていたと記憶しています。

 『人間の事実』は1992年から1993年にかけて刊行された『同時代ノンフィクション選集(全12巻)』の解説に加筆して単行本化された本です。

 今から20年以上前のことを扱った本ですが、その時代時代を映すかのようなノンフィクション本を知ることができるように思い読むことにしました。その裏には、おそらく触れられている本の多くは現在の新刊書店には並んでいないけれど、事件や出来事の記録としてどういった本が代表的なものとしてある/あったのかを知りたいという気持ちもありました。

 読みながら私が考えていたのは、自分が現在と感じている時間とのつながりのことです。以下、箇条書きのようにして書いてみます。

 例えば、堀辰雄さんの『風立ちぬ』はこの本が出た当時、ジブリのアニメ映画『風立ちぬ』はまだなかった。

 立花隆さんの「田中角栄研究」を画期的なものとして扱われていますが、近しいところで石原慎太郎さんの『天才』のヒットなど田中角栄の関連本が再び流行したこと。

 猪瀬直樹さんの『ミカドの肖像』に随分紙片を割かれていますが、『人間の事実』当時、猪瀬さんはまだ道路公団関連のイメージもなく、東京都知事でもなく、カバンの中に5千万円を模した物体を入れようと四苦八苦する姿を放映されてもいない。

 日中戦争、太平洋戦争を扱った本が取りあげられていますが、一昨年の2015年は終戦70年を記念する本がいくつも出版されました。

 地震災害を扱ったものとして中井久夫さんの著作が取りあげられていますが、それらの対象は阪神・淡路大震災であって、2011年3月11日は当然まだ未来のことです。でも、東日本大震災に際して、中井久夫さんの本や他の過去の災害を扱った本に注目が再び集まっていた印象があります。

 また、ノンフィクションの書き手として女性が登場しその立ち位置や内容が変遷していく様に触れた箇所もあります。その特徴のひとつとして「女性らしい」視点で対象を捉えなおしたことに言及されています。『戦争は女の顔をしていない』という本があるスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチさんがノーベル文学賞を受けたことを思い、文章が対象とするものに「女の顔」を取り戻す動きの連続性を感じます。

 そして、クライン孝子さん、川口マーン恵美さん、櫻井よしこさんの名前も著書名とともに登場していますが、各人の近年の著作のタイトルなどの方向性との連絡を思います。

 ドナルド・キーンさんが日本兵の日記を分析していた過去に触れた箇所で述べられる職業作家ではない庶民にも見られる書くことへの執着は、twitterの利用が日本で多いという話との接続を考えさせられ、そこへ山根一眞さんの『変体少女文字の研究』について書かれている内容とネット上を流れる文言の持つ文体や響きとの繋がりが重なってきます。

 文庫として新刊書店の棚に今でも残っているものもあるのかもしれないのだけれど、その多くはもう過去にされてしまっている本についてこうして読んでいると、柳田邦男さんが「はじめに」で言っていることの説得力がどんどん強くなっていきます。

 「日本と日本人は、さらにどのように変わっていくのか。予想を超えた変化が起こるかもしれないが、どんな未来であれ、現在と断絶したところに生じるわけではなく、現在の延長線上にしか成立しえない。そして、現在もまた、過去の延長線上に存在している。」(「はじめに」p.9)

 これは印象として感じていることですが、昨今は過去は要らない、歴史は要らない、そういう雰囲気があるように思います。

 本田靖春さんの『誘拐』について、その事件のことなら全部知っていると豪語していた記者に知らないことばかり書かれていたと言わしめた件が何度か俎上にあがっています。

 この本で取りあげられているノンフィクション本が本当に同時代であった当時、書店の店頭でどのように流通し去っていったのだろうと考えます。「全部知っている」と分かったつもりになっている態度は、ノンフィクション本自体に対しても成り立つように思えて、題名と著者名、どういった評判だったのかセールスはどのくらいの規模だったのかを知っていても、その本に何が書かれていたのかは「知らないことばかり」。

 上に「はじめに」から引用した部分は、点ではなく辿るものとしての線として時間の流れを捉える視点だと思います。その継続する線を知ろうとした時に肝心の本、記録の方が失われているのは怖いことだと感じます。

 偶然ですが、『もしも建築が話せたら』という映画で目録がないから本自体も無いことにできて処分せずに残すことができたという主旨のことをロシア国立図書館が「話し」ていました。

 この『人間の事実』で触れられていた本について、できうる限り自分の頭の中に覚えておこう、読みおわった後でそう思った本でした。