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ウィル・シュワルビ『さよならまでの読書会』早川書房

 「どこまで読んだか訊かれたとき、化学療法を受けている人たちに囲まれるなかで、吐き気についての場面を読むという皮肉に、当然ながら、わたしも母も落ち着かない思いがした。」(p.329)

 著者は出版社に勤める編集者。母親が癌にかかり余命を宣告されます。化学療法につきそう時間にお互いが読んだ本について語り合いが行われます。

 「国民皆保険は、母が常に気にかけている問題だった。」(p.74)

 「わたしは世界最高でもっとも費用のかかる治療を受けてる。それを勇敢だなんて、ちっとも思わない。」(p.189)

 死にゆく母親と娘が本を媒介につながる話だと思いこんでいた(著者が娘ではなく、息子であることが前半部分で分かります。というよりも英語がきちんとできる人だったら、ウィルという名前で分かることなのかもしれません。)私は、しんどい思いをする治療の中で本を読むということに含まれる「余裕」が気になっていました。

 それは、もし自分が大病をしたときに治療を続けられるだけの経済的状況にあるのか、あるいは幸運にもあったとして、本を読みつづけられるだけの体であるのか、という不安の裏返しだったのだと思います。そして、この本を読んだ時に著者たちに妬みを持つのではないかという怖さも正直に言ってありました。

 でも、実際に読んで感じたのは、著者の母は本書に書かれたような最期の時を過ごすに値する人物であったのだろうなという畏敬にも似たものでした。

 「母は多くの人から本を贈られていた。その大半は読んだことのある本だったが、母はそのことを贈り主には決して言わなかった。」(p.244)

 人柄がうかがえる記述はいたるところにありますが、社会事業に献身し、余命宣告を受けた頃にはアフガニスタン図書館建設計画に奔走していたそうです。また、子育てや人づきあいに関しても、この言葉が正確か自信がありませんが、decencyを感じます。

 立派なことをしていた人だから報われて当然(末期の癌で逝ってしまった方にこういう表現は語弊がありますが)、ということではなく、一本芯が通ったように生きている方に嫉妬するのは筋が違っていると私は感じます。

 「本は人間の武器庫のなかで最強の武器であり、あらゆるジャンルの本を読むことは、たとえそれがどのような形態―電子書籍(母には不評だったが)、紙の本、オーディオブック―であっても、最高の娯楽であり、人と語らうすべであるという、揺らぎない信念を母は持っていた。」(p.372)

 本を読むだけで何も還元できていない、と後ろめたさを感じることがあります。けれども、こういった風(というのがどういった風なのか明確に言語化しないのはズルいのですが)に生きられれば、堂々と本が読めるのではないかと自然と思っていました。

 「”読書好き”という点ですべての読者は共通している。」(p.358)

 読んだ後に読んでよかった、と素直に思える本でした。