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芦奈野ひとし『コトノバドライブ』3巻 講談社

マンガの感想

 「今はなき あの星からのdying message

  ほうきに乗った 魔法使いも

  悲しみエスコート   」(熊木杏里「冬空エスコート」)

 

 「香る雪のこと」という話数で主人公は雪について思いを馳せています。

 「音がない」(p.99)

 ふと目を覚ました深夜。まわりの静けさが降雪を教えてくれることがあります。音があることではなく、ないことがその存在を教える。言葉で考えると不思議な感じがします。でも、実感としてはとても共感できます。逆説的だけれども、「雪の音」とは静けさ。

 「雪は沈黙なのである。可視的となった沈黙なのだ。」(マックス・ピカート『沈黙の世界みすず書房 p.129)

 けれども、においに関しては共感できませんでした。

 「『雪のにおい』というのがある」(p.94)

 主人公が言っている「雪のにおい」が自分の思うにおいと違う、というのではなく、雪にはにおいがないような気がするためです。もっと言ってしまえば、「雪のにおい」と言われて私が感じるのは冬の空です。つまり、本来嗅覚で捉えるべきものを視覚の対象物として認識している自分がいる。脱線しますが、私にとっての冬をカタチとして一番ぴったりくる姿でみせてくれるのは、『灰羽連盟』というアニメです。

 この巻を読みはじめる前は、感想を書くつもりはありませんでした。でも、読んでいるうちに色々と内容と対話をしているようになり(一人相撲なのですけれども)、結局この文章を今書いています。

 「いえ帰ります!」(「キイチゴのこと」p.50)

 もうずいぶん前のことですが、「この先、新島襄の墓」という案内を目にしたことがありました。それを見た私は物見遊山気分で舗装もされていない坂を登りはじめていました。しばらく歩いても先が見えない。それまで登ってきた距離を考えるとこれ以上伸びると引き返す体力はないかもしれない。

 「『戻る時!』と思った」(「キイチゴのこと」p.50)

 ポイント・オブ・ノーリターンという言葉をここで使うのが正しいのかどうか分かりませんが、そういう地点・時点というのは、文字通りの意味でも比喩的な意味でもあるのだと思います。そして、今の自分を省みます。

 「なんだか久しぶりに話してる気がする」(「鍋の夜のこと」p.60)

 ずいぶん長い間、人と会話を交わしていないことも気づきます。世間話や事務的なやりとりはあるかもしれない。でも、友人や知人と呼べる人と向き合って(文字通りの対面でなくてもいいのですが)話はしていない。他人と話す・しゃべるということがどういう構成要素で成り立つのか、などと考えてしまうくらいに症状はひどいのかもしれない。

 主人公は話の合う幼なじみとの「鍋の夜」に幸福を感じています。

 人との話し方を忘れたかもしれないと思っても、自分に合っていると感じられるマンガや本を読んで色々と考える、それも「話をする」ことに含めてもいいのかな、と自分を甘やかしてみたい気分になってきます。

 「ただ火かげんを見てるだけで時間が過ぎていく

  でもこういう仕事は好きだ」(「ふたつのコーヒーのこと」p.76)

 ふと、平松洋子さんの『夜中にジャムを煮る』を思い出しますが、私にとって何かを読んでいる時間も、火加減を見ているだけですぎていく時間にたゆたっているようなものなのかもしれないなと変な連想が働きます。