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立岩真也『ALS 不動の身体と息する機械』医学書院

本の感想

 馬場ちゃん「絶望は分かるけど私のどこが希望なんですか?」

 刑事   「その絶望の状況でもちゃんと生きていっているところ?

       生きていけるってことを身を持って証明しているところ?」

                     (ドラマ『すいか』最終話より)

 

 この本にはALSの患者さん本人、家族、医療関係者の言葉が引用としてまとめられています。

 「引用だけ読んでいけば、知るべきこと、考えるべきことは皆そこに書いてある。」(p.5)

 そして、著者は引用元が書かれた言葉であることから生じる偏りに自覚的です。

 「闘病記などに書かれて公にされるのは全体の一部であり、そしてその一部の大部分は偏った、幸福な部分である。」(p.135)

 それは普遍性への疑義を呼び寄せる基にもなる。でも、

 「多かろうが少ながろうが、ある人、ある人たちがいることがそれとして知られてよいことはある。」(p.6)

というスタンスで著者は書かれています。 

 この本では、ある人がある状態で存在するということ、それ自体の意味のひとつが人工呼吸器をつけるのかどうかの選択に関連して示されています。

 著者は呼吸器をつけて生きつづけようという意識が患者さんたちの間に広がったのは、技術が進歩したためというよりは、実際に呼吸器を使って生きている人がいると他の患者さんたちの間に伝わったことの影響が大きいと記しています(pp.198-199)。

 このくだりを読んだ時、私は自殺に関する本に書かれていたことを思い出していました。たしか、Jennifer Michael Hecht のStayという本でしたが、自殺を考えるほど苦しい人でも生きていてほしいと言う根拠として、その人の存在自体が勇気と忍耐を示しているという主旨のことが書かれていました。

 実際に苦しんでいる人にしてみれば、気休めにしか聞こえないかもしれないし、本当にそんなことがあり得るのか、とも考えてしまいます。

 でも、この『ALS 不動の身体と息する機械』に登場する知らされた予後を越えて生きていけた人、はっきりと病気を告知されずに過ごしながら薄々感づいていた人の言葉を読みながら、呼吸器をつけるのかどうかの選択を考えると、たしかにある人がその状態で存在していること自体を知ることが自分がこの先、生きるかどうかに影響するという展開に説得力を感じます。腑に落ちます。

 ただ、そうした繋がりがあるからといって、そのために生きるべきだという風に言うとしたら、私は戸惑います。これは闘病記一般や闘病を扱ったもの一般について思うのですが、闘病する人のことを知って、勇気をもらいました、私もがんばろうと思いました、という反応があったとして、それは知った側にとっては本当であっても、知られた側は「私の苦しみはあなたの役に立つためにあるのではない」という気持ちになるかもしれない。

 「私たちは、誰かに必要とされていると言われて生きることにしたといった筋の話にほろりとする。」(p.378)

 必要にされているから生きるのなら、必要とされなければ生きてはいけないのか、とも考えてしまう。意味という言葉を使う時点で、誰にとってかという方向性を含んでしまいます。「ために」というベクトルを感じさせる言葉から外れたところで、ただ在るということを知っているということが自分もそう在りつづけるということに関係する、ということを知っていることが与える影響、存在するということの肯定的な側面を感じさせられる本でした。

 「ときには生きている人がいるという事実が示されるだけで、生きることにした。生きられると思うと―それはただ気力があれば生きられるということではないのだが―生きられる。」(p.349)