読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

川端裕人『雲の王』集英社文庫

本の感想

 「ある日『インターネットで買えるからお前は要らない』と言われた時は、頭が真っ白になっちゃうんですよ。」(池谷裕二糸井重里『海馬』朝日出版社 pp.164-165)

 

 『雲の王』は気象台に勤める女性が主人公です。お話が展開する内に気象の状態を「見る」ことのできる一族に自分たちが連なっていることを知っていきます。

 主人公は天気を「見る」能力をもっていますが、彼女とは対照的にコンピュータによるシュミレーションで気象を捉える職員が登場します。

 主要登場人物が出そろったところで私は職人芸(天才)とコンピュータの対立がひとつのテーマとして感じられる本なのだろうかと予断を持って読み進めていきました。

 「分かっていても、救えるものではありません。わたしたちの力はごくごく限られたものです」(p.130)

 でも、この本で描かれる主人公の姿からは、自分の能力がコンピュータにとって代わられることへの想いやこだわりは感じませんでした。それは、彼女が最初から自分の能力を知っていたのではなく、大人になった後で知らされたことや、仮に気象状態の移ろいが的確に予測できたり、危険を感じたりしても人を救うことができずに、分かる(見える)こととそれを活かすことの間で無力感を感じているためかもしれません。

 「ある意味、怪獣退治だ。」(p.384)

 気象を各種変数の集積ではなく「姿」として見ることができても、それを倒すための手は科学技術しかない。

 この本の中では、能力者と科学を使う者が自然に共存しています。主人公自身、気象台の職員で能力を自覚するまで(自覚したあとも)科学を使ってきたことの影響はあるのかもしれないけれど、現象を細かいところまで把握するのに秀でている能力を対処法の精度を上げるために使う、その際に改善ができないから能力者は要らない、認識が不完全だからコンピュータは要らないというようにお互いを批判しあう雰囲気は感じられません。

 「善を為せ」(p.188)

 グーグルの社是を連想させるスローガンです。善なんて簡単にひっくり返ってしまうものなのかもれないけれど、人を救うために気象を操作しようとする、そのために異能力も科学も長じている部分を使うという肩の力が抜けた姿勢は好きです。

 「たとえ今が散る時であっても、要石のお役目様が必要なのはそんなわけ」(p.406)

 お話の最後には、科学がもっと進んで天気を「見る」能力も必要ではなくなる未来がほのめかされています。でも、そういう役に立つか立たないかという観点とは別に、その道に携わる者なら純粋に畏敬とでもいうような気持ちを優れた能力には抱くのではないか、そう感じた本でした。

 「南雲さんとたまたま同じ職場に配属されたのは、キャリアの最後に用意されていたプレゼントなんでしょうかね。わたしは、本当に風に流されるように、ただ仕事をこなしてきたように思います。手を抜いてきた訳でもないですが、誰かを救いたいという使命感もなかった。」(p.326)