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群ようこ『福も来た:パンとスープとネコ日和』ハルキ文庫

本の感想

 出版社を辞め、母親が営んだ食堂を改装した主人公が提供するサンドイッチとスープ。この言葉を使うことはためらわれますが、「丁寧に生きる」スタンスが描かれる『パンとスープとネコ日和』の続編がこの本です。と言っても前作(小説)は読んでおらず、ドラマ化された方を観ただけなので設定や登場人物の違いをさぐりながら読みました。

 「最近は味がわからない人が多いからさ。勘違いしている人が多いんだよ」(p.99)

 読んでいる最中、私は病院に昔あった食堂のことを幾度となく思い出していました。その食堂はおじさんが一人で切り盛りしていて、ラーメンやうどん、丼物各種、オムライスなど色々なメニューがありました。材料は特にこだわっていなかったと思います。人づてに聞いた範囲ですが、ラーメンのスープだって業務用のものだったし、普通の食材を普通に料理して食べさせてくれていたのだと思う。でも、とてもおいしかった。今、飲食店に入っても、あの食堂のご飯と同じくらいおいしいと感じることは滅多にありません。

 上に引用したセリフは主人公ではなく、向かいの喫茶店のママが言った言葉です。きちんとしたものを判別できる能力が落ちているから、きちんとしていないものが通用してしまう。確かにそういった側面はあると思います。回顧による記憶の美化を差し引いても、あの食堂よりおいしいご飯がそうそうないのは、かけている手間ひまの違いだと思いたい自分がいます。あのおじさんが普通にやってくれていたことを省いているのが大勢だからではないかと。

 でも、それと同時に本当にそうなのかなとも思います。件の喫茶店のママは美味しいコーヒーを淹れられる設定です。私はコーヒーの味が分かりません。美味しいコーヒーという表現は何度も目にしますが、美味しいコーヒーがどんな味なのか分かりません。なのでママに言わせれば「味のわからない人」なのかもしれない。

 味が分からないのに、これが良くてあれが悪いと判断することの裏においしいものがきちんとしていて、そうでないものがきちんとしていないという評価をすべりこませているとしたら、それこそ勘違いしていることになる。

 「食品会社の人たちが本当に何度も会議や試作を重ねて、ひとつの商品を作り上げるんですよね。みんな一生懸命やっているのを見て、」(p.167)

 きちんとしていても、おいしく感じられないものがある。逆においしいのに実はきちんとしていないこともあるかもしれない。

 私は『かもめ食堂』やこの本も好きですし、「丁寧に生きる」系とでも言うタイプのお話も好きです。でも、それらを良いと思う裏でそうでないものの心構えや態度まで一足飛びに否定するのは多分、違う。好きなものを読んでいるのに居心地の悪さを感じるのは、このせいなのだと思います。八方美人で八方塞の状況です。

 「本は読まないより読んだ方がいいとは思うけど、読まなくてもしまちゃんは、こんなに素敵な人になったのだから、それでいいのよ」(p.12)

 色々なことに対して、「それでいいのよ」と言ってたおやかに過ごしていければいいのにな、と思います。