伊坂幸太郎『終末のフール』集英社文庫

 「テレビの声が伝える

 『星が落ちて来るでしょう』」(大木彩乃「金色の雨」)

 

 『終末のフール』には3年後に小惑星が衝突することが確実視される地球で仙台を舞台に展開される短編が8編収録されています。ただ、小惑星衝突が判明したのは8年前で初期のパニック状態を脱した小康状態を生きる人々の姿が描かれます。

 この本を読みながら私は、知っているということは救いになるのだろうかということを考えていました。

 「三年後に全部が終わるって考えるんじゃなくて、三年後から冬眠に入るって考えりゃいんだ」(「冬眠のガール」p.175)

 「冬眠のガール」という話数に上のようなセリフがあります。この話数では、両親が死んでしまって一人で生きる女性が主人公となっています。彼女は父親が残した本を全て読むことを目標とし、それを達成したところでした。父親の蔵書にマイクル・コーニイの『ハローサマー、グッドバイ』がもしもあったとしたら。女性が読んだ本の中に『ハローサマー、グッドバイ』があったとしたら、上にあげたセリフを言われた時に、そのイメージが気持ちを軽くさせるように働くことはないのだろうかと考えていました。

 あるいは、「鋼鉄のウール」に登場する格闘家。

 「あなたの今の生き方は、どれくらい生きるつもりの生き方なんですか?」(「鋼鉄のウール」p.220)

 終末が分かっているのに、変わることなく鍛錬を続ける彼の姿が語り手の目を通して描かれています。そんな彼の姿勢を知っていることが語り手の支えとなっている側面があるのではないか。

 そして、「演劇のオール」に登場する元役者。

 「舞台で演技をつづけているわたしを置いて次から次、役者が消えていく。」(「演劇のオール」p.306)

 ここを読んだ時、私はSalleyの『赤い靴』という歌をくちずさんでいました。

 「脱げない赤い靴

  踊っているのは私だけ」(Salley『赤い靴』)

 でも、私は「異人さんに連れられて行っちゃった」赤い靴をはいた女の子の唄も知っています。内容を厳密に適用すれば的を外しているかもしれないけれど、言葉のイメージとして、その唄も知っていることで、「赤い靴」には誰かが連れ出してくれるという可能性も感じることができます。

 「あんな遠くから、洪水がここまで来るのかな」(「深海のポール」p.368)

 この本には、天体衝突によって引き起こされる洪水への言及がたびたび登場します。『終末のフール』が単行本で刊行されたのは2006年3月のことだったそうです。2011年はその5年後です。伊坂さんが確か東北在住だったことを思うと、この『終末のフール』を知っていることが、現実に襲った災害に対する人の気持ちにどんな働きをもったのだろう、ということを考えます。

 「桜が春の短期間しか咲かないからって、誰も、『許さん』とか怒らないですよね」(「冬眠のガール」p.176)

 池澤夏樹さんの『春を恨んだりはしない』という題名のことを思い浮かべながら、この『終末のフール』はフィクションですが、そこで描かれた人間の生活を知っているということは、現実を受容するに際してどう影響するのだろうと思ってしまいます。

 

 「まだ居ないあなたもこの未来も

  どこへ行くの?

  消えて行く空は 誰かの願いにかわる

  誰かの星になろう」        (大木彩乃「金色の雨」)