松岡慧祐『グーグルマップの社会学』光文社新書

 この本をきっかけに著者は「地図の社会学」を提唱しています。

 地図の社会学はメディア論や都市社会学とも関連する微妙な領域だとされます。そして、その基本的な問いは「地図とは社会や人間にとってどのような存在であるか」「地図と社会のあり方が相互にどう影響し合っているか」(p.15)だとされます。

 より具体的には、地図は社会における文化や制度に受容される形をとるため、個人によって恣意的につくられるだけではなく社会によってつくられている(つくらせられている)側面があることが指摘されます。

 本書で主な対象となるのはグーグルマップです。上にまとめた地図の社会学の態度から、グーグルマップにはどんな特徴があり、その特徴を考察することで、マップを受容している社会のどんな姿が示されるのか、という期待を持ちながら私は読んでいきました。

 「コンピュータが地図を最適化する役割を担うことで、『見たいものしか見ない』という態度を可能にしてきたわけである。」(p.131)

 グーグルマップの特徴のひとつは、「個人化」「断片化」というキーワードで説明されています。利用者の使用目的に応じて表示される地図の範囲や尺度が最適化されることで、世界や国家といった「全体社会」のみならず、地域社会やエリアという「ローカルな全体」が見えづらくなっているとされます(p.145)。デジタル地図に限らず、ネット全般の話題でも耳にすることのあるキャス・サンスティーンのサイバー・カスケードやパリサーのフィルター・バブル(ともに本書でも言及されています)が連想されます。

 一方でグーグルマップには「シーケンス化・多層化」という特徴もあるとされます。 「シーケンス化」とは、紙媒体の地図では見ることのできる範囲に制限があったものが、デジタル地図では(Ajaxなどの技術にもよって)画面を移動させていくことでシーケンスとしてつながることを指します。

 また、「多層化」ではグーグルマップの「レイヤー」という機能に触れながら、例えば、路線図や自転車向け道路など使用用途に応じてマップの表示が変えられるなど、利用者に対応した地図の見え方の層が重なりあっていることが説明されています。

 「いかにして、断片化を超えて、シーケンス化・多層化に向かえばよいのだろうか。」(p.196)

 このように著者は、「個人化・断片化」によって従前の「全体(社会、ローカル)」が閉じられる一方で「シーケンス化・多層化」によって新しい世界が開かれる可能性に言及した上で、その方法へと筆を進めています。

 著者はグーグルマップが持つレッシング的な意味合いでの「アーキテクチャ」に、未知の場所への移動リスクを下げることで人々を動かす働きがあると考えています(p.198)。そして、移動が増えれば人々の触れる地図の断片やレイヤーが増え、「シーケンス化・多層化」が進むと展開されます。

 ここで私は分からなくなりました。

 私が、先に引いた「見たいものしか見ない」という言葉にこだわっているからかもしれないのと、著者の言う「シーケンス化・多層化」が「見たくないものも見る」を含意するのかを考えてみる必要がありますが、本書の展開では「見たいもの」が増えていくだけで「見たいものしか見ない」態度は留保されるように感じるためです。

 また、グーグルマップは「個人化・断片化」を促す「アーキテクチャ」でもある(p.195)とされています。だとすると、グーグルマップには既に「アーキテクチャ」として「個人化・断片化」の促進と移動の促進が存在しており、特徴として「個人化・断片化」と「シーケンス化・多層化」も存在していることになります。

「けっきょくのところ、どちらに向かうかは、ユーザーである個人がグーグルマップをどのように使うかにかかっている。」(p.194)

 「アーキテクチャ」としても特徴としても現に存在している中で、著者が脱却すべきだと見ている使い方をユーザーがしているのはどうしてなのか。

 ここで連想にすぎませんが、岸政彦さんの言葉が頭に浮かびます。

 「私たちは、無理強いされたわずかな選択肢から何かを選んだというだけで、自分でそれを選んだのだから自分で責任を取りなさい、と言われます。これはとてもしんどい社会だと思います。」(岸政彦『断片的なものの社会学』朝日出版社 p.240)

 本書に述べられたような特徴をグーグルマップが持ち、著者の言うような使われ方をしていくべきだとして、今現在そうではない使われ方をしているとしたら、その状態の起因として個人の総和を超えた存在があるのかということが気になってきます。