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R・リーバス、S・ホフマン『偽りの書簡』創元推理文庫

 「知るだけならそんなことはない。知ったことを話すから危険な目に遭うんだ」(p.461)

 時は1952年、独裁制下のバルセロナで医師の未亡人が殺害されます。物盗りの犯行の線で捜査をすすめる警察。独占取材を認められた記者は、別の線を疑います。お話が展開する中で彼女は遠縁にあたる学者の力を借りることになります。

 「この手紙を書いた人は、自分の小説に登場させるアンダルシア人を、そのしゃべり言葉で読者にそう認識させたがっている作家みたいな書きぶりだわ」(p.191)

 その学者の能力を読んでいる内に私は『マイ・フェア・レディ』のことを思い出していました。最初の部分しか観たことはないのですが、映画の中でオードリー・ヘップバーン演じる花売りの女性がコックニーという訛りのある英語を話しています(その訛りから話者の属性が分かるようになっています)。また、登場する言語学者が音叉を鳴らして音の変化について会話しているシーンが確かありました。 

 『偽りの書簡』で事件を追うこととなる学者も、町で偶然話すこととなった相手の出身をその発音の特徴から推量していました。また、書かれた言葉についても特定の単語の出現頻度、出現箇所を定量的に捉え、書き手の特徴をつかもうとするシーンが描かれています。

 この学者はスペイン内乱を経る政治的情勢の中で反体制的だとしてアカデミズムを追われたという設定です。そのため、犯罪捜査に役立つ知識を提供できているのにそれをおおっぴらに言えない状況にあります。

 「人に可能性を提示するのはアドバイスをするのとそう変わらないわ」(p.246)

 人に識別できないことが分かるのはきっと秀でていることになるのだと思います。でも、それがそのジャンル中の基準ではないものによって「認められない」状態にあるとき、それでも知るというの意味を自然と考えてしまう本でした。