読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

坂口安吾『不連続殺人事件』角川文庫

本の感想

 「どの人間も、あらゆる犯罪の可能性をもっている。どいつも、こいつも、やりかねない」(p.94)

 連続殺人事件、と聞くとひとり(あるいはその共犯者)が連続して犯す殺人だと普通は思っています。本の題名に連続殺人事件とある時点で作中で起こる殺人が連続している、つまり同一犯によるものだという予断を持ってしまいます。

 仮に連続殺人という線から外れる犯罪であっても、作中で言及される以上、お話の展開に何か関係するものと受け入れてしまいイレギュラーなものとして意識にのぼることは稀です。それが伏線と呼ばれるものであったとして、読みおわって回収されていないように感じられても、読者側(作者側)の落ち度を疑っても、純粋にそれが無関係なものだったという可能性は最後まで考慮されないのではないでしょうか。

 「目的の殺人はとっくに終わっているのかも知れませんぜ」(p.194)

 題名が示唆するようにこの小説で行われていたのが不連続な殺人事件なのか、タイトルは著者によるミスリードで実は同一犯による連続殺人事件なのか。作中の探偵役が事件を推理していく様を読んでいて私は別のことを考えていました。

 どうして登場人物たちは逃げないのか。

 語り手が招かれた邸宅で事件は発生しています。関係者たちは自分たちの中に犯人がいるだろうことは承知しています。周りには最初の殺人でやってきた警察もいます。そんな中でも第二、第三の殺人が起こる。これが嵐に合った孤島や山火事がふもとの方から迫ってくる山の別荘など物理的に囲いこまれた環境なら話も分かります。でも、殺人現場はそんな状況にない。実際、探偵役は物語の終盤、調査のために東京へ戻っています。

 探偵は事件解決のくだりで「心理の足跡」(p.289)という言葉を使っています。普通に道からは外れている足跡も、道の方を違った風に認識させられれば見る者に気づかれない。

 「普通に」考えれば殺人が起こった屋敷に逗留しつづけるというのは奇異な状況です。そのおかしさを気づかせないように引かれている線は何なのかと考えた時に、ミもフタもなく言ってしまえば、ミステリだからということになりますが、登場人物にとって小説が世界の全てであることをあわせると、現実の人間が殺人が起こりつづける世界に居続けることを「普通」にしているのは何なのかということが気になりますし、卑近な例で言えば、災害や悪天候でも出社しなければならないという時折SNSなどでネタとして消費される意識を当たり前のものにしているのが何なのかということが気になってきます。

 連続して発生することが必ずしも相関を意味しない、ということを思い出します。