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小川洋子『密やかな結晶』講談社文庫

本の感想

 「正しい言葉さえどこにも

  残らない もうない

  等間隔美しく並ぶ helvetica

  狂い出した今      」(やなぎなぎ「helvetica」)

 

 シニフィアンシニフィエを結ぶ糸のようなものがあるとして、両者が同じものとして依然と存在するのに糸の方が切られる(あるいは誤配線される)ことで認識が成立しなくなる、そんなことはあり得るのでしょうか。

 『密やかな結晶』の舞台は島です。そこでは色々なものが順番に「消滅」していきます。この小説の中で「消滅」するとはどういうことなのかと私は考えます。

 「消滅」する、といっても文字通り物体としてのそれが消えてなくなるわけではない。物体としては存続しているのに意味・概念が消失したためにそれがなかったことになる。実際、「消滅」したものを物体として消し去っているのは、人々自身です。

 「本がこんなによく燃えるものだとは知らなかった」(p.265)

 本の内容としてのあるジャンルが「消滅」した際、登場人物たちは本を図書館を燃やしました。焼失による消失です。

 そして、全ての人に「消滅」が訪れるわけではない。

 「忘れること、何も残らないことは、決して不幸せではございません。現に、心から何も消え去らない人たちは、恐ろしい秘密警察に捕まっているじゃありませんか」(p.76)

 そんな失わない人間からみた形容は、「消滅」の形とでもいうものの輪郭を私に描いてみせます。

 「僕の記憶は根こそぎ引き抜かれるということはない」(p.116)

 多くの島民にとって記憶を根こそぎ引き抜かれることが「消滅」であり、「消滅」したはずのモノは依然として在りつづけられるという状態は、コンピュータ上にファイルは残っているのにパスを失ったためにアクセスできない状態を連想させます。

 あるいは、データ消去が無かった状態に戻すのではなく、無かった状態を上書きするという説明を思い出させます。

 「我々の職務は、そのほとんどが秘密のうちに行われなければならないものです。秘密警察という名前の通りに」(p.150)

 憶えているということ、保存するということ、そういったことを否定する考えが基調にある小説を読みおえて思うのは、それでいいのかという陳腐な懐疑です。

 

 「使った人間の気分をすーっとさせると言われている。でも、すーっとするが集まるというのはどういうことなんだろう」(桜坂洋よくわかる現代魔法 ガーベージコレクター』)