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恩田陸『ユージニア』角川文庫

本の感想

 「ノンフィクション?あたしはその言葉が嫌い。事実に即したつもりでいても、人間が書くからにはノンフィクションなんてものは存在しない。」(p.19)

 地方の名士宅で起きた大量毒殺事件。現場には犯行声明ともとれる詩が残されていました。そこに記された「ユージニア」とは一体何なのか。事件に巻き込まれた少女は10年の時を経て本を上梓します。当時の関係者に取材したその本はベストセラーとなり世間を騒がせます。小説『ユージニア』はそれらの出来事が過去になった時点からはじまります。事件を描いた本の著者をも含めた関係者に再取材しているかのような謎の語り手。複数の視点で語られる事件に新しい光があてられていきます。

 「みんなが見るもので、特定の人にだけメッセージを伝えたい時にはどうする?」(p.70)

 くだんの女性が書いた事件記『忘れられた祝祭』において、本筋に関わりのない些末な部分が事実と異なるよう意図的に変更されていることが述べられています。作中の登場人物たちにとって、それは事件の真実に関わることなのかが問題となりますが、『ユージニア』の読者としての私には別の問題を示唆します。

 作者である恩田陸さん自身、同様のことをしていないのか。

 「実際には、それまでKには行ったことなかったんですけどね。」(p.48)

 この箇所に至るまでの記述でKがどこの地方都市を意味しているのか疑問の余地はありません。お話の最初、『忘れられた祝祭』の著者と語り手が会話を交わしながら歩いている庭園がどこなのか明言はされていないものの、描写と庭園名以外の名称ははっきりと書かれていることからどこが舞台になっているかははっきりしています。それでもなお、Kとして伏せるのはなぜなのか。

 都筑道夫さんは『黄色い部屋はいかに改装されたか?』の中で自作のミステリに地名を出す場合、現実にそこにいる人たちへの配慮から特定の場所が思い浮かべられないようにぼかした記述にする旨、たしか述べていました。恩田さんも同様の配慮をしたというだけなのかもしれない。でも、それにしてはKがどこなのかバレバレである。

 私はそこでふと思いました。Kがあの市だとどうして自分は分かるのか。あるいは、開示されている情報から「バレバレな状態である」とどうして判断してしまうのか。

 Kが空白になっている謎だとして、他に明確な情報がある場合、「現在なら」その情報をキーワードにして多くの人は検索をするでしょう。さながら円周からコンパスを使って円の中心を求めるように。

 『ユージニア』の単行本は2005年に刊行されました。当時、何か分からないことがあるとネットで検索をかけるという行為はどの程度浸透していたのだろう。もしかしたら、当時の普通に想定される反応の中では、この本で明言されている情報からKの正体を見破れる人というのは、その土地にゆかりのある人に限られていたのかもしれない。2016年である現在においてその正体にたどり着いて「しまう」人の範囲よりずっと狭い範囲の人にしか気づかれない書き方なのかもしれない。

 「その人だけが知っていることを書くしかないのでは」(p.66)

 『忘れられた祝祭』の著者が自分は(他の誰も知らないけれど、あなたは知っているはずのこと、だってあなたが犯人なのだからという)秘密を知っていると相手に示すために本を1冊書き上げたように、『ユージニア』という本自体も「その人だけが知っていること」を暴露してしまう機能を持っている。『ユージニア』に限らず、何か本を読んで分かるということは、読者だけが知っていることを暴いている側面があるのではないか。考えがここに至った時、背筋を冷たいものが走ります。