篠原ウミハル『図書館の主』12巻 芳文社

 「私が学校に来るのは月水金の3日間でね 時間も10時から4時までだから・・・朝は会えないの」(p.12)

 児童書専門の私設図書館タチアオイ図書館を舞台に描かれる司書と本のお話の12巻。この巻は学校図書館がメインとなっています。

 従来からいた司書教諭とは別に司書として赴任した女性。図書室と図書館は違うと児童に諭すなど、肩の力が入りすぎているように見える彼女ですが。

 「学校司書なんて誰がやっても同じパート仕事のくせに 余計な事はするな」(p.68)

 この話数では主に学校司書と教諭との齟齬が描かれています。ただ、その意見やバックグラウンドの対立がそれほど激しく見えないのは、司書教諭の先生のキャラクター造形のために思えます。

 「それじゃあ その学校では・・・先生方は誰も 学校図書館で学校司書が何をしているか 知ろうともしなかったて事ですね・・・」(p.56)

 ベテラン教諭が新任司書の過去について話した時も角が立たないように引き取ってやんわりと対向する視点を提示しています。司書教諭という名称が司書と教諭でできているよう(教員免許にプラスして司書教諭用の単位取得が必要だったと思いますが、今は変わっているのでしょうか)に文字通り教諭の世界も司書の世界も理解しているかのようなふるまいを見せています。

 この司書教諭の先生は前の巻で出てきていたかなと記憶を探ります。司書が配属される前、この先生はひとり(じゃないかもしれないけれど)で図書室をどんな風に運営していたのだろう。上とバチバチとやりあって改革をしていく、ということはないかもしれないけれど、そこで腐ったりはせずに自分のできることをムリの無い範囲・程度でしっかりやってきた人のような気がする。

 お話は進研ゼミのDMのマンガのような展開をみせます。ひとつうまくいくと全て芋づる式に好転していく、全部手に入るというような。そんな展開を読んで正直言って眉に唾をたくさんつけてしまいもします。

 でも、この学校図書館編にはバーネットの『秘密の花園』がアナロジーとして使われている。

 12巻の中には、同じくバーネットの『小公子』を使った話数があります。そこでは『小公子』のご都合主義な結末に対する批判について言及されています。その批判に対してタチアオイ図書館の司書は子どもたちに告げます。

 「バーネットの言う幸せな世界を頼ってみるのもいいんじゃないか」(p.165)

 『秘密の花園』と『小公子』は違うけれど、学校図書館編で描かれた展開は必要なものなのだと、考えを改めさせられます。

 「司書として『読ませなければいけない本』もないんだ 『読ませたい本』はもちろんあるがな」(p.96)