読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

沢木耕太郎『テロルの決算』文春文庫

 「右翼の行動がさらに過激になり、しかもその過激な行動が頻発するようになったのは、明らかに岸内閣成立以後のことである。」(p.39)

 『テロルの決算』は浅沼稲次郎山口二矢という2人の人物を中心に描かれるノンフィクションです。浅沼は野党の政治家、山口は右翼団体に所属もした少年です。本文は演説会において山口が浅沼を殺害する場面を頂点に記されています。

 「死ぬまで住みつづけた白河町のアパートは、すでに買い取りを終え賃貸ではなかったが、政治家の住いとしては例がないほど狭いものだった。」(p.108)

 この本のことは、多分ノンフィクションを紹介した別の本で知ったのだと思います。その紹介の中で受けた浅沼稲次郎という人の印象が、少年によるテロの対象となるには意外なもので気になっていました。

 浅沼さんと同じ政党だった伊藤卯四郎という人の言として浅沼さんはこんな風に評されています。

 「物欲も金銭欲もなく、趣味もなければ道楽もなく、ただ大衆運動だけで人生のすべての時間を費い切ってきた」(p.227)

 また、秘書だった壬生啓さんの思いとして「大勢の中に居ることを望みながら、結局、あの人は独りきりだったのではないか」(p.234)とも書かれています。

 こういった人をテロの標的として殺すしかないという結論に至るには、どういった考え方をどのように展開していけばそうなるのかと疑問に思われてなりません。(それでは、別の特徴を持った人ならテロの対象として殺されてもしかるべくと自分は考えていたり想定しているのかと自問もわきますけれども。)

 実際、逮捕後の取り調べで人生観を問われ山口は次のように言ったとされます。

 「人間必ずや死というものが訪れるものであります。その時、富や権力を信義に恥ずるような方法で得たよりも、たとえ富や権力を得なくても、自分の信念に基づいて生きてきた人生である方が、より有意義であると信じています。」(pp.332-333)

 彼が是とするように人生を送ってきた(し、必ずしもそれが報われたとは見えない)浅沼さんを殺めた。私には、自分が信じるものを自分自身の手で否定したように見えます。

 「悩みがない人間というのは、ウソなんじゃないでしょうか。生き方にウソがあるんじゃないでしょうか」(p.157)

 事件の発生時、両者の年齢はそれぞれ61歳と17歳だったそうです。山口二矢が己の人生観を自分自身で否定したように私が感じるのは、彼の年齢に対して、まだ悩み・逡巡が十分ではないと浅はかさを見たいからなのかと自問します。