G・K・チェスタトン『ブラウン神父の童心』創元推理文庫

 「狂気と絶望だけなら罪はない。世のなかには、それよりもっとひどいことがあるんだよ」(「折れた剣」p.308)

 先日、都筑道夫さんの『黄色い部屋はいかに改装されたか?増補版』(フリースタイル刊)を読みました。その中に本格推理作家は本格推理が好きな読者に向けて書かなくてはいけないという主旨の内容がありました。餅は餅屋、魚を売ろうとしない、というような考え方を好きだな、と思いました。都筑さんの見方で色々なものを捉えたら、どんな風に見えるのだろう、とも思いました。また、実作の修練の一環としてチェスタトンのブラウン神父シリーズと岡本綺堂の半七捕物帳を毎年繰り返し読んでいる、ということも書かれていました。ミーハーな私はそのブラウン神父に興味が湧きました。

 『ブラウン神父の童心』はブラウン神父を探偵役に様々な謎が描かれる短編集で以下のお話が収録されています。「青い十字架」「秘密の庭」「奇妙な足音」「飛ぶ星」「見えない男」「イズレイル・ガウの誉れ」「狂った形」「サラディン公の罪」「神の鉄槌」「アポロの眼」「折れた剣」「三つの兇器」。

 「いくら自分の聖書を読んだところで、あらゆる他人の聖書を読んでみないかぎり、なんの役にも立たぬということを、世間はいつになったら理解するだろう。」(「折れた剣」p.318)

 読みながら私はブラウン神父が真相を見抜ける、真相にたどり着けるのはなぜなのだろうと考えていました。フィクションなのだから探偵役が謎を解けるのは当たり前、ということではなくてその条件のようなものが気になっていました。

 それは、その場を支配する物の見方や認識の枠組みの外から物事を捉えられるからかもしれない。あるいは、その逆。その状況を統べている考え方に皆従っているように見えながら、実はそれが不徹底な時に、その見方に純粋に徹することで実際何が起こっているのか理解できるというような。

 「まちがった場所にいる正しい人であるということで善をなすことのできる場合だってある」(「サラディン公の罪」p.221)

 「見えない男」を見えるようにしたもの、「神の鉄槌」が何か教えたもの。

 また、気になったのは、なぜブラウン神父は悪人を改心させることができるのかということでした。

 「人間というものは、善良な生活なら一定の水準を保つことができるかもしれぬが、悪事の一定水準を保つなんてことはむりな相談なんだよ。悪の道は、もっぱらくだるいっぽうさ。」(「飛ぶ星」p.129)

 『黄色い部屋はいかに改装されたか?』の中で都筑さんはトリックの真新しさについて書かれています。例えば同じトリックを使った作品がそれより前にあったとしたら、クリスティの『アクロイド殺人事件』の価値は変わるのか。タイムマシンが登場する小説を書いた人は皆、H.G.ウェルズの剽窃だと言われるのか。

 この『ブラウン神父の童心』に収められているお話に登場するトリックには、これまでにどこかで聞いたことのあるものがいくつもありました。抽象的な形でこういうトリックもありますよ、とどこかで紹介されていたのだと思います。その起源がブラウン神父シリーズにあるにせよないにせよ、ブラウン神父によって解決されていく短編には固有の面白さがあって、それは上に書いたようなブラウン神父の見方によって切り取られていることが大きく影響しているのだと思います。

 そして、彼の視点でもっと多くの事件を見てみたい、彼の聖書に従えば世間はどう読めるのだろう、と気になってきます。