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東村アキコ『かくかくしかじか』1巻 集英社

 先日、浦沢直樹さんの『漫勉』というTV番組を観ました。番組の構成は、予め対象となる漫画家の執筆過程を複数の定点カメラで撮影し、その映像を浦沢さんと撮られた漫画家が一緒に見ながら対談する、というものです。再放送でしたが、ちょうど東村アキコさんの回でした。

 印象的だったのが東村さんがペン入れをしていく速度について浦沢さんが驚異的な速さだと評している箇所でした。というのも、実際にその映像を見ていても私にはそれが「速い」ことが分からなかったためです。たしか、マンガを描いている人にとっては衝撃的な映像です、という様に表現されていましたが、ピンときませんでした。それは、とても大きな物体でも周りに比較対象がない所で目にするとその大きさが分からなかったり、上空を飛ぶ飛行機を速いと感じないことに似ているのだろうか、と考えていました。

 その話の流れの中で、東村さんが過去に師事した絵画教室の先生に触れる箇所がありました。そこで引用されていたのがこの『かくかくしかじか』でした。TVで取り上げられていたのは断片ですが、東村さんがその先生に相当鍛えられたことが窺えて、それと同時に絵を描くということをきちんと躾けてくれた先生を慕っていることも窺えるくだりでした。

 そこで浦沢さんが言ったのが、東村さんは連載を多くかかえているそうなのですが、その膨大な仕事量をこなせるのは、達人的なスピードがあってこそで、その技巧の基になっているのが若かりし日の地道な修練で、そういった積み重ねは見えにくいけれど、それが基礎になっている、という主旨のことでした。

 「試験始まったらいつもみたいに紙の右上に時間書け/とにかく時間配分だけは間違うな/緊張して時計見るの忘れて仕上がらんまんま提出したら100%落ちるぞ」(p.121)

 美大受験へと教え子たちが旅立つ際に先生はこんなアドバイスをしています。そういえば、番組の中で東村さんは原稿を落とさないことを最低ラインにしている、というようなことを言っていました。

 私はどうしてこの先生のことが気になったのだろう。東村さんの「修行時代」のことが気になったのだろう。教えるということが、教わる者にその教授される技能をきちんと身に付けさせるということだと信じたかったからかもしれません。

 記憶に残る教師になりたくはない、それよりも生徒たちがきちんと読み書きできるようにしたい、という主旨の大村はまさんの言葉をふいに思いだしました。