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加藤元浩『Q.E.D.iff』2巻 講談社

 この巻には「素っ裸の王様」「殺人のかたち」が収録されています。

 「形っていうのは当たり前のように目に見えているけど/想像できないものを隠してるんです」(「殺人のかたち」)

 自分の言葉、と言ったときにそれを「自分の」と言うために必要な条件は何でしょうか。

 「素っ裸の王様」ではSNSへの発言が展開に大きな役割を果たしています。誰かに依頼されて行った発言・投稿はそれ自体を取り出して責任を追及されたとき、「自分の」言葉として責任を持てるのでしょうか。本心にもないこと、考えていもいないことを相手に向けて言える・書けるのは、自分のものではないと自覚しているからなのか、それさえも含めて自分のものだと腹が据わっているからなのか。

 他人が言った言葉、書いた言葉を自分の中で反芻することがあります。黙読する言葉は自分の声だったり、自分が知らず知らず想定する誰かの声で発音されます。黙読なので実際の音声は伴いませんけれども。ただ、自分の頭の中で繰り返されるうちに、その言葉が自分のもののように思えてくることもある。逆にタイミングがあってしまったために、たった一度の接触なのに、発言した人・書いた人のその時の意図とは関係のないニュアンスを持って認識した人に響いてしまうこともある。

 「殺人のかたち」で犯人の背中を押したのもそんな言葉でした。一時はその言葉に唆されたとしても、それが「自分の」言葉なのかと問うことができれば結末は違っていたのかもしれないなと思います。

 そして、犯人とその言葉の関係を考えた時、「素っ裸の王様」で表現されていた彼の彼女に対する想いや『Q.E.D.』のある話数でただ一度、彼が「正義」のためにおこなったフレームアップを思うと、彼もまた条件が揃えばそちら側へ行ってしまうではないか、という不穏な連想をしてしまう巻でした。