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たなかのか『すみっこの空さん』8巻 マッグガーデン

 この巻収録の「サンタクロース」という話数にアドヴェント・カレンダーが登場します。アドヴェント・カレンダーと言えば『ソフィーの世界』で有名なヨースタイン・ゴルデルに『アドヴェント・カレンダー』という小説があります。『ソフィーの世界』→哲学→『すみっこの空さん』という連想の繋がりですけれども。

 さて、「サンタクロース」で空さんはサンタという存在の機能に気づきます。それは「ねつ」という話数で亀のプラトンが布団に対してとった行動との類似を思わせます。

 「ねつ」でプラトンは布団を助けようとします。かつて「都合のいい女」というフレーズがありましたが、プラトンのご主人にとって「都合のいい布団」であるところの布団を救おうとします。

 「だから布団さんを助けたのは『祈り』に近いのかもしれません」(「ねつ」p.15)

 その理由は、自分自身へも救いを用意するため、いや、救いは存在すると信じられるようにするため。仮に人が「救いはない」と言ったとしても、現に助けを出している自分がいる限り救いは存在している。コギト・エルゴ・スム、ではありませんが。

 祈りが何かを待っている、待望しているように見えるなら、祈りの主体は自分では成就させるための行動を何もとっていないと言われるかもしれない。他力本願だと。でも、待つということ、祈りの中自体にその対象を成立させる働きがあるのかもしれない。祈る/待つという行為は遂行的なのかもしれない。

 むかし、ヴァージニアという少女からサンタクロースはいるのですか?という投書を受け取ったある新聞は紙面でこう力強く回答しました。

 Yes,Virginia

 妖精なんかいないと子どもが言う度に妖精はひとりひとり死んでいくとティンカーベルは言いました。

 「サンタクロース」という話数でサンタの格好をしているのは空さんの両親です。空さんは目の前に現れているサンタの中の人が誰かは知っています。でも、空さんは「サンタはいない」とは思っていません。サンタがいるからサンタの存在を信じるのではなく、サンタの存在を信じる、サンタの事を考える中に「サンタクロース」は存在しています。それはエンデの言う希望に似ています。そうであるにも「関わらず」に持つのが希望であると。

 「わかれ」という話数の114頁、空さんと少年が風景をバックに駆けています。その風景には、1巻のある話数で未完成だったあるものが完成しています。

 空さんがいうようにそれが完成したことで行けるようになった場所もあります。でも、それが遮ることで見えなくなったものもある。そしてそれは空さんたちの世界から大切なものが徐々に奪われていくことの予兆のようでもある。駒沢敏器さんの『語るに足る、ささやかな人生』という本を思い出します。

 最終話の1つ前の話数は「しゅうえん」という題です。それは終焉なのか周縁なのか。「しゅうえん」で空さんはこれまで自分が見ていたもの、読んでいたものの「本当の」姿を知ります。そして145頁には「わかれ」を読んだ時に私が感じた嫌な予感をそのまま画にしたようなコマが置かれています。

 「ぜんぶ一人でできるようになるってさみしいことだったんだね・・・」(「サンタクロース」p.66)

 彼女は大事なものを失います。でも、

 「空さんが僕を『神さま』と呼んでくれた日々はこの時のためにあったんだ」(p.153)

 お話のはじまりにあった勘違い。空さんが彼を「神さま」と呼び続けたこと自体が彼女にとっての救いを存在させつづけることだったのかもしれません。

 「もし来たら?」

 「わたしたちは救われる」(サミュエル・ベケットゴドーを待ちながら白水社 p.172)