阿古真理『小林カツ代と栗原はるみ』新潮新書

 「共働きの女性たちが夕食の食材を求めたのは、都心にある百貨店の地下の食品売り場だった。地元に帰る時間にスーパーは閉まっているからだ。」(p.58)

 料理研究家、料理番組と言えば私は土井勝さんを思い出します。子どもの頃、病室でよくTVを観ていました。16時台はたいてい刑事ドラマの再放送。17時台はアニメだった気がします。その橋渡しとなる16時50分ごろ、土井勝さんの料理番組が放送されていました。たまに土井勝さんにそっくりの若い方が代わりに出ているときがありました。息子の善晴さんです。料理研究家の子どもも料理研究家になる、世襲なのだなと無意識に思っていました。

 あの番組がその日の夕飯の参考になることを意図していたとしたら、16時50分ごろにはまだ家庭の主婦は夕食の買い出しを終えていないと想定していたのでしょうか。確かに看護師さんの顔ぶれが変わるのはその時間帯でした。退勤して家へ買っていく看護師さんたちは帰る途中でスーパーに寄って買い物をしていくのだろうな、と思っていました。

 「小林や栗原の人気の背景には、女性の生き方や価値観の大きな変化がある。」(p.4)

 時代時代によって人気を集める料理研究家。彼女たちのスタイルの違いには、その時代の特徴が反映されている。そうした考えに基づき、主にレシピ本の読み込みから時代の変遷を綴ったのがこの本です。

 この本を読みながら考えていたのは、各料理研究家の違いを読み取り、そこから各自の信念のようなものを感じるには、ある程度の料理の腕が必要なのではないかということでした。

 例えば、阿古さんはビーフシチューのレシピから小林カツ代さんと栗原はるみさんの違いを読み取っています。いわく、小林さんは味付けに缶詰のドミグラスソースを使うけれど(ドミグラスソースを自作せずに缶詰を使っている点の革新性に別箇所で触れられています)、栗原さんはとんかつソースを使っている。小林さんは手順を簡単にしながらも味は正統派を貫くのに対して栗原さんは難しい料理も万人のものにしようとしている、と。

 「料理研究家のスタイルを決める原点には、必ず育った環境がある。」(p.97)

 この本を読んでいると、料理研究家には信念のようなものがあり、時代が個人に押し付けてくる「こうあらねばならない」という規範のようなものへの異議申し立てがレシピとして体現されている、という風に感じられます。そうすると、書店の料理書のコーナーは読者にとってどのように見えるのだろう、ということを考えてしまいます。

 困っている人というのはきっと時代時代で「こうあるべき」という姿になれない人、なるのが難しい人だと思います。その困っている部分を解決してくれる、参考になる料理本が並んでいれば、棚から受ける印象は多分いいものになる。もちろん、解決するために「こうしなさい」と高圧に主張するものは別の「こうあるべき」を押しつけてきて窮屈になるという可能性もあるけれど。

 逆に、最初から全部「こうしなさい」とライフスタイルを主導しますとでもいうような、どうせ分からないんだから教えてあげます、というようなものは疎外感を見る人に与えると思います。

 この本は各料理研究家と世間の人気の間の媒介項に焦点が当たっていませんが、料理本で言えば編集者の存在、その料理本を企画する時点でどちらの方向性を向こうとしていたのか、読者に寄り添う方向なのか、読者を指導・先導しようとしたのか、そういったことが気になってきました。