飯塚訓『墜落遺体:御巣鷹山の日航機123便』講談社+α文庫

 著者は元警察官。1985年8月12日に発生した日航機の墜落事故では、遺体の身元確認班の責任者として現場を取り仕切りました。その際の様子を記した手記がこの本です。

 「すなわち、五二〇人の身体が、二〇六五体となって検屍されたということである。」(p.66)

 上に引用した箇所にいたるまでに検屍された遺体の数が何度か登場しています。乗員・乗客524名。その数は全員が亡くなったとした場合よりもはるかに大きいものでした。全乗員乗客数を上回る遺体の数は、遺体の状態について多くを示唆します。遺体の状態については細かな描写が何度もされていますが、仮にそれがなくとも全員と遺体数との乖離が多くを語っているように私には感じられました。

 著者は遺体の検屍・身元確認を行う現場にいたため、墜落現場での状況、この事故自体を事件性、加害性から検討した内容ではありません。その現場での遺族の苦しみ、担当者の疲労がひしひしと伝わるもので胸が痛くなる本です。こんな風に書くと、陳腐な言葉でしか表現できず嘘くさい響きを持ってしまって、私自身が本の内容をきちんと受け止めきれていないような感じもします。

 この本を読みながら私は似たような本を読んだことがある気がしていました。東日本大震災の犠牲者の安置所の様子を書いた本です。ただ、この『墜落遺体』には臭いが執拗に記述されていました。読んだことのある東日本大震災の本の中では遺体の腐臭についてはそれほど感じられませんでした。逆に、文字になっていないからそうなのであって、実際には臭いはあったのだろうとも思っていました。

 本を読んだからと言って、現場の状況を本当に理解できるわけではない。知ることがきるわけではない。安全に平和な部屋でのほほんと本を読んでいる自分と、突然断ち切られた命に臨んで渦巻く感情を受け止めなければならない(ならなかった)人たちとの違いに眩暈がしてきます。

 そして、著者を含め当事者となった方々にとっては現在も続いているだろう出来事について本や報道で点のように触れるだけの自分に後ろめたさを感じます。