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朽木祥『オン・ザ・ライン』小学館文庫

 「この人はねえ、詩を読むみたいに絵を読むんだ」(p.91)

 先日、辻原登さんの『東京大学で世界文学を学ぶ』という本を読みました。その中でヘンリー・ジェイムズの『ねじの回転』について次のようなことが書かれていました。語り手である「わたし」には前任者らの幽霊が見えるのに、他の登場人物に見えないのは、「わたし」がその幽霊を「読んでいる」のに対して、その登場人物は「読んでいない」からだ。

 読むことができなければ、「見る」ことができないし認識できない。

 この『オン・ザ・ライン』の第二部では、各章の扉に絵が置かれています。ただし、それは画像ではなく、文章です。それはまるでネットのウェブページをソースで見ているような印象を受けます。

 HTMLなど「言語」自体ではなく、それが変換されたものをいつもは目にしている。見たままの姿に「言語」を読む存在がなければ、いつも見ているようには見えない。

 各章の扉に置かれた文章は私にとってただの言葉です。でも、それを「読める」人にとっては、その文章が指し示す絵を画像として視覚的に認識できるのかもしれない。

 「俺は常に言葉でものを考える。」(p.306)

 主人公である少年はお話の展開の中でテニスにハマッていきます。競技上の自分の動きも言葉で捉えて、それを動作に変換しています。

 多分、言葉の話はこのお話の本筋とは関係がないと思います。ただ、私にとってはこの本を読んでいて一番気になることでした。