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青柳碧人『浜村渚の計算ノート6さつめ:パピルスよ、永遠に』講談社文庫

 「理系の教育が国家に必要だったことをよく知っていたのだ。今の日本政府と真逆だな」(p.119)

 このシリーズを読んでいると、この本での理系の扱いを文系に置き換えた状況をどうしても想像してしまいます。

 この巻収録の「シスター・メルセンヌの記憶」では、理系教育排斥の流れで行き場を失った「理系人間」たちが修道院のような場所で共同生活を営みながら数学の研鑽に励んでいます。もしも、文系(とされている)の学問・知識が排斥されたとしたら、同じように世俗から離れた場所で細々と淡々と命脈を保つようになるのでしょうか。だとしたら、それはかつてはオープンではなかった秘伝のようなものが明るみに出てきた流れ(というイメージがあるのも『薔薇の名前』のイメージのせいですが)の逆をいくようなものなのかな、とも考えます。

 個人的な印象ですが(そもそも、個人的ではない印象はあるのか、とツッコミを入れておきますが)、現実では理系/文系という言葉が使われていても、文系を貶めて理系を尊重するなど、どちらかをとるというのではなく、知識そのものを蔑ろにする流れ・雰囲気になっているように感じます。

 学問・教育の軽重が「国家に必要」かどうかで量られる一方で、この巻の最後の話数「魂はピラミッドを彷徨えり」では、古代エジプトの人たちにとって数学・算数が庶民の生活に寄り添ったものだったと触れられているのは示唆的です。

 主人公、浜村渚は何かに必要だから数学をしているわけではない。

 

 以下、覚書です。

 log10.「シスター・メルセンヌの記憶」

  『素数入門』(芹沢正三、講談社ブルーバックス

  『砂漠の修道院』(山形孝夫、平凡社ライブラリー

 log100.「ナポレオンが見つけてくれた」

  『ルイ・ボナパルトのブリューメル18日』(カール・マルクス平凡社ライブラリー

 log1000.「集合と孤独のジュース」

  『カントル超限集合論』(共立出版

  『無限論の教室』(野矢茂樹講談社現代新書

  『最速の仕事術はプログラマーが知っている』(清水亮、クロスメディア・パブリッシング)

 log10000.「魂はピラミッドを彷徨えり」

  『ゾンビの科学』(フランク・スェイン、インターシフト)

  『人はいかにして甦るようになったのか』(パーニア&ヤング、春秋社)

 「解説」

 『直感でわかる数学』(畑村洋太郎岩波書店

 『続 直感でわかる数学』(畑村洋太郎岩波書店