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伊与原新『蝶が舞ったら、謎のち晴れ:気象予報士・蝶子の推理』新潮文庫nex

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 春(printemps)も途中までなら印刷。何を印刷するのでしょう。

 「わたし、春なんて嫌い」(p.83)

 春はみんなが待ち望む季節。長い冬が終わって色んなものが躍動を取り戻す。文字通り「spring」、びょんびょんと活き活きしてくる。そんな季節が嫌いな人は肩身の狭い思いをしてしまう。もしも、冬がなかったら。秋から直通で春にたどり着いたら。今と同じように春を人は待つのでしょうか。

 「『春は苦手』あなたの言葉に/何故か少しホッとした」(辛島美登里「haru.」)

 この本は、気象予報士である菜村蝶子(なむらちょうこ)を探偵役に、幼なじみでありデイトレーダー兼探偵(別名:何でも屋)の右田夏生(みぎたなつお)の元に持ちこまれる謎を解く短編集となっています。

 蝶子はTVの天気キャスターをしています。ただしかなり型破りな天気キャスターです。読んでいる途中で原稿にはイチャモンをつけ、逃げ腰な予報にはオンエア中にダメ出しをします。極め付けはコーナーを締める時に言うコメント。

 「強い風が吹きますから、鉛価格の高騰に注意が必要でしょう」(「ミモザの霞んだ日」p.27)

 いわゆる「風が吹けば桶屋が儲かる」式のコメントで、遠く離れた場所にいる蝶の羽ばたきがここの嵐につながる、というバタフライ・エフェクトの例示となっています。

 読者としては、夏生が抱える依頼の解決と蝶子の言ったバタフライ・エフェクトの謎解きを楽しむべきなのかもしれませんが、私は彼女の天気予報番組での態度が気になって仕方がありませんでした。

 番組には流れやお約束があって、それに沿わない、空気を読まない態度は普通とれません。現実の世界なら、彼女のような天気キャスターは即、降板でしょう。作中では、逆にその態度が視聴者にウケているからクビにならずにすんでいると辻褄は合わせてあります。そして、視聴者にウケている理由は単に面白いから、というだけではないとほのめかされています。

 「ただ、この姉ちゃんは信頼できる。自分の考えでものを言ってるからな」(「台風二過」p.138)

 放送台本にそう書いてあっても、同じデータを使った自分の計算では解釈はそうならない。おかしいと感じるものに異議を唱えられるだけのKY。でも、そんな「空気読めない」人がいなくなった時に起こる負の事態を5章を読んでいると考えてしまいます。

 「誰にでも天気予報が出せる世の中だからこそ、誠実にやらねばならんのだ」(「標本木の恋人」p.285)

 データや処理結果を誠実に読めば見えてくるものも、お約束に流されて言わなくなれば、危機の兆候も逃してしまうかもしれない。彼女はそんな大義名分を多分掲げていない。けれど、彼女の態度はそういった危機が起こるとしても、何か救いのようなものがあるような気にさせてくれる。『誠実な詐欺師』という言葉をふと思い出します。

 「お天気は、誰もえこひいきしない」(「新緑の雨」p.18)

 この本では、蝶子と夏生の幼い日の出会いも描かれています。そして、本編の語り手は全て夏生です。彼女の物事への態度を読んでいると、全く同じ話でいいので、これらを蝶子の視点で書いたものを読んでみたくなります。

 「無理に他人にあわせないでね/そこが好きな私だから」(辛島美登里「haru.」)