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大倉崇裕『福家警部補の追及』東京創元社

 「ご心配には及びません。寝ていませんので」(p.112)

 私は福家警部補を人間だと思っていません。小説の作中人物なので、人間ではないのは当然なのですが、そういう意味合いではありません。

 上遠野浩平さんに「ブギーポップ」シリーズというライトノベル電撃文庫で刊行されています)があります。作中、ブギーポップは「世界の敵の敵」と設定されています。世界でもなく、世界の味方でもありません。世界の敵の敵、です。世界の敵が現れると自動的に生じるもの。敵がいなければ出てこない。攻撃を仕掛けていた相手が世界の敵でなくなれば、攻撃も停止するし、ブギーポップも存在を止める。

 大倉崇裕さんが描く福家警部補シリーズは『刑事コロンボ』へ向けたオマージュです。最初に犯罪(多くが殺人)の過程が読者に提示され、読者は刑事が犯人を追いつめていく展開を楽しみます。福家警部補が登場するのは、常に犯罪が行われた後です。被害者が営んでいた社会生活、交友関係、そういった諸々は被害者にとって「世界」と言って差し支えないと思います。その「世界」の敵が出現する、犯罪が行われることによって、その人物が「世界」に対する敵と確定する。福家警部補はそのお約束から自動的に召喚されます。

 福家警部補はほぼオールマイティです。『追及』に収録されている「未完の頂上」では、登山家に劣らず息を切らすこともなく追随していきます。実技だけではなく、知識においてもそれぞれの専門家と互角に渡り合います。

 一方、コロンボ警部はそこまで万能ではなかったはず。餅は餅屋とばかりに分からないことがあれば、その専門家に助力を求めます。上司をダシにして些事に見える情報を被疑者から得る手練れは同じものを持っていますが、色々なことができないコロンボ警部からは人間味を感じます。でも、福家警部補にはその人間臭さがない(「幸せの代償」での犬の件は例外のように感じます)。

 「そうねぇ。この一週間、一度も家に帰っていないわ。最後に寝たのはいつだったかしら」(p.53)

 いくらフィクションの人物といっても、この小説のリアリティのレベルでは、不眠不休で働けば影響が出るのが普通だと私は感じます。ワーカホリック、あるいは正義の遂行のためという使命感を持ちだしたとしても、です。

 福家警部補だけフィクションとしての位相が他の登場人物たちと若干ずれている。

 彼女は真犯人を追いつめるだけではありません。聞き込みに行く先々で、行われた犯罪によって歪みをきたそうとしている世界に秩序を取り戻します。

 「未完の頂上」での山岳会の継続。「その考えに自信を持てばいいのです」(p.168)「幸福の代償」での若者の行く末。

 殺人が完遂されている時点で「世界」の中心は失われている。でも、その失われた中心から広がる波紋が「世界」の形を変えることは防いでいる。そういった意味合いで自律的に起動する「世界の敵の敵」だと感じられる。

 現実の世界で「世界の敵」のような存在がいたとして、それに抗うことは可能なのでしょうか。虚構のような能力を身に付け、不眠不休で事にあたることは不可能です。少なくとも私にはできません。

 「たしかに暇と言えば暇ですが、一応、やることはあるのです」(p.85)

 日々やっていることを無意味だと言われ、必要だと感じてもその考えに自信を持てず、否定してくる相手をやり込めるだけの力もない。そんな現実的な肉体を備えた人間の背中を押すような存在。

 福家警部補のように可視化していなくとも、機能として同等のものは存在しているのか。「その考えに自信を持てばいいのです」と言ってくれるものはあるのか。それは分かりません。

 ただ、福家警部補シリーズ(そして刑事コロンボシリーズ)を読んでいる間は、そういったものの存在を少なくとも信じるフリはできるように思います。