読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

加藤元浩『Q.E.D.iff』1巻 講談社

 『Q.E.D.』は50巻までで完結し、掲載紙の変更などと相まって『Q.E.D.iff』(iffはif and only if=⇔、同値を意味する)と改題後の最初の巻です。

 この巻には「iff」「量子力学の年に」が収録されています。

 「量子力学の年に」は長い年月をへてある新興宗教の教祖の遺体がミイラで発見されたことに端を発して過去の殺傷事件の真相が明らかになる話。

 作中、量子力学についてアインシュタインとボーアの論争に触れられます。両者の対立についてはマンジット・クマールの『量子革命:アインシュタインとボーア、偉大なる頭脳の対立』(新潮社刊)という副題がそのものズバリの本があります。なお、コペンハーゲン解釈に代わる多世界解釈の本としてはコリン・ブルースに『量子力学の解釈問題』(講談社ブルーバックス刊)というものもあります。

 「星が無限にあるのなら夜空は星で埋め尽くされて昼のように明るくなるはずだろう」また、名前には言及されませんが「オルバースの逆説」も小道具的に登場しています(こちらはエドワード・ハリソンに『夜空はなぜ暗い?:オルバースのパラドックス宇宙論の変遷』地人書館刊という本もあります)。

 さらにマイナスの確率について考えている箇所もあり、マルティネスの『負の数学』(青土社刊)という本のことを連想してしまいます。

 さて、お話の筋ですが、科学雑誌のある記者が宗教の欺瞞を暴くために団体に潜入します。ところが、救われる人を目の当たりにするに至り、非科学性を否定しないものの、逆に科学の意味に懐疑を抱きます。

 「科学が平和な世界を作ってくれるって信じていたけど、こんなときどんな役に立つって言うんだ?」

 しかし、教祖の口から最後に発せられた言葉が記者に真実を告げます。

 「振り返るなと/立ち止まるなと/歩き続けても/この世に果てなどないと/本当はとっくに/気付いてたさ」(柴田淳『それでも来た道』)

 人には成すべきことがある、という考えは何かの役に立てることを約束してくれます。でも、そんな成就する果てなど本当は存在しない。それでもこれまで自分の道を歩いてきた。そしてこれからも歩いていく(しかない)。

 「だから寄り辺となるより確かな事実を/科学として積み上げるしかない/たとえどんなに苦しくても」(「量子力学の年に」)

 私は実存哲学をちゃんと勉強したことも、サルトルの著作を読んだこともありません。でも、「実存は本質に先立つ」という言葉を、約束された果て、本質はないけれども、既に存在するものとして道を歩いていくしかない、という風に受け取っています。「それでも来た道」は「それでも行く道」の途中なのだと思います。

 「iff」に登場する芸術家が見えなかったものについてのワトソン役の少女の解釈を考えると同じ巻に量子力学を扱った話数が収録されていることの皮肉を考えます。

 「iff」で行われた犯罪は、コペンハーゲン解釈的にはシュレディンガーの猫の生死を決めるものであり、多世界解釈的にはこのマンガの登場人物たちが観測したのがその世界だった、ということになるのでしょうか。