梅森元弘『死者のホンネ:英国墓碑銘の世界』主婦の友社

 「自作エピタフの数はきわめて少ないが、自分で自分のエピタフを書く習慣は、多少作詩をかじる道楽人の間ではかなり一般的に見られたものである。」(p.345)

 末盛千枝子さんの本を読んでいて梅森さんの『エピタフ』(荒竹出版刊)という本のことを知りました。墓石に彫られている言葉、エピタフは故人の縁者による文章で、故人自身というよりは、縁者や故人の生前の社会関係や雰囲気を伝えているのではと漠然と思い興味を持ちました。ただ、『エピタフ』の方は手にするのが難しそうだったため、この本を読むことにしました。

 この本の題名『死者のホンネ』は上記のような関心から読むことにした私にとって違和感があるものでした。故人の自作ではないのに「ホンネ」と言っていいのだろうか。墓碑銘によって語っているのは故人ではなく、その縁者ではないのか。

 「死者は何も言いません。この世に幽霊なんていないから。彼らを呼び出したのはあなたたちです。」(『機動戦艦ナデシコ』第21話「いつか走った『草原』」)

 この本はエピタフの和訳、原文、エピタフに対する著者の雑感・コメントという構成になっています。著者によるとエピタフの内容を真に受けてはいけない場合もあるそうです。それは韻を踏んだりダジャレにするために無理矢理綴りや言葉、内容を変えているとうかがえることもあり、また墓石に刻むという性質上、エピタフを作文(作詩?)する人と石工が違っており、石工による「写し間違え」があったりしたためです。

 別の意味でも真に受けてはいけない面があります。例え、文字面では故人を批判しているように読めるものであっても、行間から故人への思慕が感じられるものもあるからです。いずれにしろ、故人と生きて残っている人、故人が後に残していった社会がなるべくしてその墓碑銘となっている、という感はあります。

 「故人と縁もゆかりもない人がエピタフを読むときに故人は生き返ります。」(p.359)

 著者のエピタフに対するコメントを読んでいて、正直に言って死者の人生に対して冷たいのではないか、と感じることもありました。例えば

 「病弱な人で、たくさんの種類の薬をまるで食事のようにとっている人がいる。そして常に、苦しい、苦しいと嘆いて日々を過ごす。このような人でも生きているのは楽しいのだろうか。」(p.87)

 というコメントを読むとまるでその人の人生の価値を否定しているように感じられます。著者の中で「生き返った」故人はそのようなものだったのでしょうか。

 ただ、墓碑銘とその読者の関係はこの本と私にもあてはまるもので、読んで私が感じたような思いは故人の人生に対して著者は本当はもっていないのかもしれません。

 この本に収録されているエピタフを読んでいて私が感じたのは、死んでしまったことを否定したいけれど、死んでしまうことはどうにもできないことだから、せめて死んでいくことに明るい面を見ようとでもいうような(生前が苦しいものだったから、救いとして神は故人を天に召した、というような)哀しい諦めのようなものでした。