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いせひでこ『大きな木のような人』講談社

 「それでも花は咲きません 私は何の種でしょう」(池田綾子「種」)

 木のような人、とはどんな人でしょう。

 大学生だった頃、講義の空き時間を校舎内の廊下に設けられた休憩所のような場所でソファに座ってぼんやりガラスの外を見ていたことがありました。そこには名前の知らない植物が植わっていました。私はこの植物はいつからここにいるのだろう、私が卒業した後も変わらずここから動けずにいるのかな、とぼーっと考えていました。もしも、今母校を訪ねたら、変わらずにそこに生えているのでしょうか。

 この絵本の中で少女は植物学者からひまわりの種をもらいます。人間は自分が植えるものを何の種か分かっていて植えます。子どもの頃、食べ終わった柿の種を家の前の空き地に植えて幾日か水をやり続けたことがありました。木になって実が成り、柿が食べ放題だと思ったのです。子ども、ですね。でも、植物の視点に立てば、自分が何の種なのか分からないかもしれない。

 植物学者のおそらく助手は植物園で研究している理由を問われてこう答えています。

 「あなたくらい小さかったころ、世界中の木を見たいと思ったの。」

 「世界中の本を見たいと思ったの」という言葉と形がそっくりです。私は世界中の本を見たい(読みたい)のかもしれない。

 「暖炉のように人が集まる そんな人にいつかなるために」(熊木杏里「最後の羅針盤」)

 人をものに喩えるとしたら、自分は何のような人になりたいのだろう。

 「あの人の見た夢を見れば、あの人の翳す太陽を仰げば 自分もあの人になれると 一つ一つ真似していた」(柴田淳「それでも来た道」)

 この絵本を読んでいると、いせひでこさんはフランス語を解することがうかがえます。私は短絡的なので、ではフランス語が分かるようになれば、この絵本が醸しだす雰囲気に近づけるのかな、と考えたりもします。そんなことはないのだけれど。

 「人はみな心の中に、一本の木をもっている。」

 木のような人。方法は分からないけれど、目標としてはいいように思います。

 「そうか私は木なのです 私は大きな木になって 本当の自分になりました」(池田綾子「種」)