皆川博子『倒立する塔の殺人』PHP文芸文庫

 題名にある「倒立する」という言葉を見て思い浮かべたのは、水面に映るタワーの姿でした。タワーを背にしてみると正立しているように見えるけれど、離れた場所から例えば穏やかな水面の向こうに塔が立っていて、そのすがたが映っているのを見ると、水に映っている方は倒立しているように見える。イメージとしては水平線に沈んでいく太陽が海面上では水平線へ向かって上昇しているように見えるのと同様のものです。

 「水面は夕映えを映して激しく燃え立っていた。礼拝堂の尖塔は、水底に向かって聳えていた。」(p.103)

 実際、お話の中では鏡や水面(ミナモという名前の人物まで出てきます)が結構な頻度で登場します。

 「壁面に大きい鏡があった。」(p.102)

 ただ、題名にある「倒立する」が鏡像のことを指しているとしたら、私には気になることがひとつありました。

 「わたくしは、わたくしを裏切った相手を、狂わせるつもりでおります」(p.118)

 通常、鏡のことを左右が逆になると表現しますが、特別な鏡でなくとも同様にして上下が逆になっていると言えるそうです。順を追って考えなければ納得できず、納得した上でも直感的には正しいと思えないのですけれども。では、左右も上下も逆になっていると言えるとしたら、鏡像が反対にしているのは何なのか。

 鏡に映った姿を見た時に左右が逆になっていると捉えるなら、上下は逆になっていないと無意識に前提していないでしょうか。でも上下も逆になっているなら、そこで起こっているのに「見えなくなっている」のは。

 日本語には「前後の見境がなくなる」という表現があります。それは文字通り狂っていることになるのではないでしょうか。

 『倒立する塔の殺人』は作中に登場する小説の題名でもあります。主人公たちが通う戦時中の学校では交換日記ならぬリレー形式で物語を書くのが流行っていた。「倒立する塔の殺人」と題名が書かれたノートに主人公たちは物語を書きこんでいきます。

 「読むのが好きな者は、自分で書きたくもなる。」(p.67)

 最初は元になる何かがあって、それを範にして物語が書きこまれた。現実が前で、物語が後。でも、この本で提示された謎が明らかになる頃には、決着がつく頃には前後の見境がなくなった。

 鏡像で逆になっているものを考える中で見えなくなっているものがあるように、この本の展開を読む中で見えなくなっている狂いがあるのではないか。

 ある登場人物が夢を諦めたことが最終部分でそっと触れられています。その夢の内容を考えた時、この本を読んで私が感じた一番の恐怖はそこにあったのだと気づきます。