ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア『たったひとつの冴えたやりかた』ハヤカワ文庫

 「全体の命運を左右するかのような大問題が、その瞬間その瞬間には、個人のささやかな行動の上にのっかっているようだった。」(「衝突」p.367)

 この本は短編集で「たったひとつの冴えたやりかた」「グッドナイト、スイートハーツ」「衝突」が収録されています。また、それぞれの話数は大学図書館の司書のレファレンスによって学生に提供された資料という体裁で、司書と学生カップルとのやりとりが話数の間に挟まれる構成となっています。

 表題作「たったひとつの冴えたやりかた」は宇宙船を買い与えられたお金持ちのお嬢さんが未知の宇宙へ冒険に乗り出そうというお話。ところがその道程である生命体に接触してしまい・・・。

 私は彼女の人物描写や思考スタイルを読んでいて、未読ですが『理系の子』(ジュディ・ダットン、文春文庫)のことを連想していました。

 『理系の子』はインテル国際学生科学技術フェアに参加した高校生を描いたノンフィクションです。「たったひとつの冴えたやりかた」の主人公のように発生する問題に対して理知的に対応していく子どもたちが集っている(勝手な)イメージがあります。そして、そんな子たちが未来を切り拓いていくのだろうな、という無責任な思いも持ちます。

 でも、逆にそういった「冴えた」知性は未来につながると同時に、見通せるが故に「冴えたやりかた」を選択できることを考えると、本書で描かれた展開にはやるせなさを感じます。それはどっちに転んでも自分は蚊帳の外だという疎外感にも似ています。

 また、この話数で彼女が「感染」した生命体の設定はミームを思い出させます。ミームは遺伝子(ジーン)のように伝播していく文化社会的要素だと理解していますが、仮にこの生命体のように成長すると言う過程があり、未熟/成熟という区別があるとしたら、同じミームであっても幼い未熟なそれを受け取った人間たちがこの話数で生命体の幼生に寄生された登場人物たちのようになる可能性も感じます。

 もちろん、これらはどこかで聞きかじった中途半端な知識によるアナロジーですが、運悪く(運良く?)その未成熟なミームに適した環境があるところに遺伝が起こり適者生存によって自然淘汰を生き残る、と考えると恐ろしさも覚えます。

 それは、新井素子さんの『チグリスとユーフラテス』を読んだ時に感じた「大人」の存在しない社会の恐ろしさに似ています。ここで言う「大人」とは肉体的なそれではありません。たとえ生まれてから相当の年月を過ごし、老人と呼ばれる体を持っていたとしても、その間ずっと前の世代との接触もなく成長した人間は、分別(もう死語でしょうか)を内部に備えた人物と成りえるのでしょうか。

 「もういいわ、お嬢さんがた。わたしは心配性のお婆さん、忘れないで―わたしは心配することで給料をもらってるの。」(「衝突」p.270)

 「冴えた」知性はアクセルにもブレーキにもつながっています。

 「トーキー・ブックを作っただれかに感謝する。ジラがいま説明できるように、その単語を収録しておいてくれただれかに。」(「衝突」p.360)

 「衝突」のクライマックス、艦長である登場人物はクルーの死にも耐え最悪の展開を回避するために限られた不利な条件の中、最後まで諦めません。でも、そこで彼にチャンスを与えている一つの要素は見ず知らずの「だれか」が言語学習機にある単語を登録しておいてくれたことです。

 自動翻訳機のようなものを作る場合、おそらくシソーラスのようなものが必要とされると思います。容量などの制限があれば、語彙の取捨選択にはセンスが必要かもしれません。ビッグデータのマイニングがセンスという属人的なものにとって代わるのかもしれませんが、上に引用した「お婆さん」のようにどこかに心配する人が必要だと感じます。

 それは「たったひとつの冴えたやりかた」を読んだことがある人に対して「たったひとつの冴えたやりかた」という表現が符牒のように示す英雄的な行為に限らず、そういった「冴えた」世界の蚊帳の外にいても自分の役目を全うすることの大切さを教えてくれます。

 「ええ、ある一瞬には、わたしもそのささやかな個人のひとりだったと思うわ」(「衝突」p.368)

 私はこの本のことがとても好きです。それは各話数をつなぐ図書館でのやりとりに登場する司書もまた、「ささやかな個人のひとり」として描かれていたからだと思います。

 「あなたはほかのだれにもできない助力をしてくださった。しかも、あなたとしては、そこまでなさる必要はなかった。」(「図書館にて」p.371)