ヒュー・マイルズ『アルジャジーラ 報道の戦争』光文社

 私がアルジャジーラという名前をはじめて知ったのは、9.11同時多発テロの頃だったと思います。そのときは、なにか話題になっている中東のテレビ局、という印象でした。先日、池内恵さんの『イスラーム世界の論じ方』を読んだ折、アルジャジーラという単語が何回か本文に出てきて引っかかったのだと思います。この本が存在することは知っていたので読んでみることにしました。

 「基本方針とは、すなわち、アルジャジーラはいかなる勢力、いかなる国家からも独立した放送局であり、もしも特定の勢力や国家を支持したりすれば、報道機関としての信頼は永遠に失われる、というものである。」(p.82)

 アルジャジーラの姿勢はジャーナリズムの理想を悪く言えば青っぽく貫こうとしているように見えます。そして、設立からその後の放送、各方面との軋轢、圧力について書かれている部分を読んでも、彼らはそれに屈せずに理想を追っている印象を受けます。通常なら、現実的な部分で妥協してしまうこともありそうですが、その部分についてはあまり書かれていません(か、本当に独自路線を守っているだけなのかは分かりません。)

 元々あったBBCアラビア語放送がダメになった後、そのスタッフの多くを引き継いでいる放送局だそうです。その元々のBBCアラビア語放送のスタッフがどうやってリクルートされて教育を受けたのか詳細は分かりませんが、報道理念として芯の通ったものを所属員に醸成するものだったのでしょうか。現実の圧力が理念を捩れさせるほど多くの実践を積む前に放送自体が頓挫してしまった、そのために理念の方は純粋培養されるようにきれいなまま保存された、そういう可能性はあるのかと気になります。

 「われわれはアメリカから学んだジャーナリズムの原則を実践しているがゆえに、そのアメリカ政府から攻撃されているのだから」(p.408)

 この本の副題は「すべてを敵に回したテレビ局の果てしなき闘い」(邦題のみ)です。その敵のひとつがアメリカでした。

 「放送施設だから攻撃しないとは限らない。戦争の遂行に必要とあれば、何であれ攻撃目標になる」(p.221)

 この本に書かれている時間の中では、アルジャジーラは2度アメリカから文字通り武器による攻撃を受け、スタッフが殉職しています。事故、誤りだったという説明も紹介しながら、この本ではアルジャジーラに対する脅しとして意図的だったという見方をとっています。

 「もう客観的な立場ではいられなくなりました。私たちは戦争に巻きこまれてしまったのです」(p.338)

 敵は武力攻撃だけではなく、財政面でも圧力がかけられていたそうです。

 「アルジャジーラは二〇〇〇年初頭の時点では、依然として赤字から抜け出せていない状態だった。」(p.94)

 「二〇〇二年末、アルジャジーラに対する財政的、外交的圧力は高まるいっぽうであった。六ヵ国で支局が閉鎖され、四百通以上の抗議文書が寄せられた。」(p.283)

 それでも継続できていたのは、アルジャジーラが誕生した国カタールの首長から財政援助を受けられていたからだそうです。また、この首長はアルジャジーラの放送内容について他国から圧力がかかった際も、放送内容に干渉しないと明言し護っているように見えます。

 「アルジャジーラは対立する双方の主張を紹介しているだけだ」(p.166)

 客観中立を謳う放送局が財政面でカタール首長と太いパイプを持っている。そのため、アルジャジーラカタールの傀儡だと言われもしたそうです。

 カタールに批判的な報道が少ないかもしれないとちょっとだけ触れられてもいますが、それでも一番最初に引用した基本方針を遵守しているように本文を読んでいる限り見えます。

 だとしたら、カタールの首長の庇護がアルジャジーラの客観・中立な報道姿勢を支えているわけで、首長がもしも「悪い」人だったり、変わったりしたら、それらも即座に存続が危なくなります。そう考えると、アルジャジーラのような放送局、放送姿勢を許容する首長はどんな人なのか、どんな考えなのかがとても気になってきます。そして、カタールとはどんな国なのかと興味が湧いてきます。

 「カタールは、首長の鶴の一声で、個人であれ一族であれ人の人生が変わってしまう国であり、それは首長と同じ部族の有力者であっても例外ではない。つまり全国民が首長の慈悲にすがって生きている。そういう国だということを忘れてはならない。」(p.26)