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加藤元浩『Q.E.D.』50巻 講談社

マンガの感想

 この巻には「観測」と「脱出」が収録されています。

 「観測」は加速器など物理の実験施設で発生した事故のお話。複数箇所の施設に妨害工作が為されていく。それらの施設に共通することとは・・・。

 物理の実験施設といえば多田将さんの『すごい実験』(イースト・プレス刊)を思い出します。また、標的となった施設が共通に観測しようとしていたものについては、関連書がいくつも出ているものの、作中の円グラフに4%という表記があったので、リチャード・パネクの『4%の宇宙』(ソフトバンククリエイティブ刊)を連想します。いずれも未読です。気になった時に読んでおけば良かった。でも、その時にはきっと何か別の本を読んでいたのでしょう。

 さて、お話の内容ですが、この「観測」という話数の展開を読んでいて私はリチャード・ファインマンという物理学者のことを思い出していました。彼が書いたエッセイの中でこんなエピソードがあります。物理を修めた彼に対して父親が問いかけます。良かった、これでお前に教えてもらえる(その内容が電磁気学に関する何かだったような記憶があるのですが、記憶に自信がありません。)。

 「私のわからないことをやっていてもちっとも偉くないのよ」

 「観測」で描かれた事件を貫く動機は、ファインマンさんの父親とは対照的です。自分には理解できないことを、自分の息子が道を進んでいくことで教えてくれるようになるかもしれない。青は藍より出でて藍より青し。自分よりも優れる者に対する肯定。そういえば、刑事ドラマなどでまず疑われる動機の決まり文句に「怨恨、痴情のもつれ」があります。自分の分からない事を理解し、その道を進んでいくのを良しとしないのもまた怨恨のひとつの形でしょうか。

 (ファインマン)物理をきちんと分かっている方なら、経路積分になぞらえてもっとうまく言えるのかもしれません。私にはできませんけれども。

 「脱出」は今流行りの?脱出ゲームを舞台とした謎解き。話数のタイトルはある登場人物が人生で迷い込んだ迷宮からの脱出にもかかっています。

 この話数を読みながらぼーっと考えていたのは、信用の形ということでした。この話数に登場する殺人犯のことを脱出ゲームの首謀者が「信用していた」と形容すると、この話数を読まれた方はどう感じるでしょうか。

 『ヴァンドレッド』というSFアニメがむかしありました。戦闘時の事故によって遥か彼方へ敵兵とともに転移させられてしまった船が母星を目指すのが大枠の設定です。その設定は、スタートレックヴォイジャーにちょっと似ているかもしれません。その『ヴァンドレッド』の中で母星を目前にして敵星の防衛ライン(機雷群)と対峙する話数があります。旅をともにしてきた敵兵は訓練生だったため、機雷の解除コードを当然知りません。爆発のカウントダウンが進む中で、艦長がとった策とは。

 何か策を弄するとき、嵌める相手のことを信用している側面があるような気がします。こんな風に仕組めば、こう動くだろう。こんな風に追い詰めれば、こう出るだろう。それは「普通の人間ならこうするだろう」という予測のようなもので、当人というよりもそんな論理展開への信用といったほうが正確かもしれないのですが。

 でも、その予測が「普通の人間なら」ではなく「彼/彼女なら」という個別具体的な人間に基づくものなら、それはやはりその人への(形としてはいびつかもしれないけれど)信用の一種のような気がします。

 この巻と同時発売の『C.M.B.』28巻に収録されていた「キジムナー」という話数で描かれたキジムナーの正体と通じるものが、脱出ゲームの首謀者にとってのアリアドネの糸だったのでは、と思います。