読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

加藤元浩『C.M.B.』28巻 講談社

マンガの感想

 この巻には「キジムナー」「空き家」「ホリデー」が収録されています。

 「誰か!! 誰か助けて!!」(「ホリデー」)

 「ホリデー」はアフリカにある架空の国でおこるジェノサイドを停止させるために国連安保理で決議を得ようとする話。先日読んだ『手術の前に死んでくれたら』を彷彿とさせる内容です。こちらはノンフィクションですが、その中で極限状態の土壇場の瞬間に「誰か何かをしてください」と救いを求める声が電波にのったと書かれているページがありました。

 「助けてください」。もう10年以上前ですが、空港で男性がそう叫ぶシーンが何度もCMで流れていた記憶があります。『世界の中心で、愛をさけぶ』です。

 また、『ロング・キス・グッドナイト』という映画の終盤では、共に戦ってきたサミュエル・L・ジャクソン演じる私立探偵を殺され孤立無援のジーナ・デイヴィス演じるスパイが自分の娘まで守りきれなくなりそうな場面で藁にもすがる様子で「誰か助けて」という主旨のセリフを言っていたはず。

 この『C.M.B.』も含めてフィクションにおける「助けて」という懇願は響きを持つのに、現実のそれが鈍く響くのはどうしてか。

 登場する外交官はかつての自分をも含めてこう批判します。

 「単に自分が気に入らない案を『国益にならない』って言ってるだけさ 面倒なことや自分の趣味に合わないことを無責任に国の利益の問題にすり替えてるだけ」

 これは外交官の部分を読者に置き換えてもあてはまると思います。読者にとって自分の利益とは、そこから面白みを感じることでしょう。だから、エンターテインメントに含まれる「助けてください」には引きつけられる。

 でも、人に知らせたい、聞かせたい場合には手段としてはいいのかもしれない。

 「ホリデー」の中で、相手に情報を読ませるにはどうすればいいか話をしているシーンがあります。

 「事実をいくら丁寧にまとめた正確なレポートを書いてもムダ」

 だから、上に書いたこと、そこに含まれる批判的なスタンスに矛盾すると思っても、件の外交官が行ったスピーチを引用したくなるのだと思います。

 「この紛争は解決する価値がある ある日 突然罵倒され撃ち殺されることも 目の前で子供が殺害される日常も 火で焼かれた痛みに苦しむ人が増え続ける毎日も 止めるだけの価値がある」

 問題は自分にとっての「キジムナー」がちゃんと見えているか、ということだと思います。