磯谷友紀『海とドリトル』2巻 講談社

 「わたしにだって そういう時期は あった」

 かつては抱いていた研究への情熱。それはもう冷めてしまった。研究室に残っている理由は、ある人の側にいたいからという不純なもの。自分の往き方を考える登場人物がいます。

 「たのしーなー」(p.45)

 過去の自分を過去のモノだと思い知らされるのは、今現在輝いている新人を見た時に顕著でしょうか。その新人である主人公は双眼鏡を覗きながら亀の産卵を楽しんで観察しています。

 以前、何かの番組で卒論のために観察小屋にこもって研究対象の動物が来るのを待ち続けなければいけない学生を特集していたのを見たことがあります。動物が来なければ観察することさえできない。待っているときの気持ちはいかほどかとその時に考えたことを思い出します。

 脱線しましたが、この巻の中で主人公はデータロガーを取り付ける際に海へと転落します。半ばトラウマになりかけ、海へ出られなくなるのを克服しようとするくだりがあります。その自己流心理療法のようなものの描写から『攻殻機動隊S.A.C 2nd GIG』にある草薙素子が自身の過去を映画のように見る話数を思いだしました。『海とドリトル』の中では、主人公はスクリーンを他者と一緒に見ています。

 サンテグジュペリは愛のことを互いに見つめ合うのではなく、ともに同じ方向を見ることだと言ったそうです。だとしたら、両者のこの先の展開を暗示してもいるのでしょうか。

 でも、このマンガの中では研究者同士の恋愛はうまくいかないかのような流れになっているのですが。

 

 「数学の問題に取り組むのに、恋愛感情は必要ない」(青柳碧人『浜村渚の数学ノート3と1/2さつめ』p.198)