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天野こずえ『あまんちゅ!』9巻 マッグガーデン

 川上弘美さんの『センセイの鞄』という小説に「センセイ、帰り道が分かりません」というセリフがあります。私は、会ったことも話したこともないある方にこう問いかけたくなる時があります。

 中谷宇吉郎センセイ、それにはなんと書かれているのですか?

 『あまんちゅ!』9巻の最初に収録されているお話「あったか注意報」では降雪、がシーンです。雪が降ると空気が鎮まるように感じられるのは何故なのでしょうか。雪がしんしんと降る、の「しんしん」は擬音語なのか擬態語なのか。個人的にずっと気になっています。先日、少し思ったのは、雪が積もると自動車は速度を落とす、同じように人間の動きも緩くなるのかもしれない。それらが相乗して世の中から喧騒が減るからだろうか、ということでした。

 John GreenらによるLet It Snowという本があるそうです。瀬那和章さんの『雪には雪のなりたい白さがある』という題名を連想します。雪、から色々な意味を受け取るのは人間が勝手に投影しているだけで、雪は雪で自分の都合で降ってくるのかもしれない。

 また、別の所でこんな話を知りました。人間が「レモンは速いですか遅いですか」と聞かれた場合、速いと答える方が多いそうです。今、ふと思いましたが「!」は大音量ですか小音量ですか?という問いがあったとして、小音量と答える人の方が少なくはないでしょうか。レモンに話はもどりますが、そこで説明に使われているキーワードは共感覚、でした。

 雪から受け取るものが共感覚的な認識に依っているとしたら、「しんしん」が擬態なのか擬音なのかという区別自体、意味をなさなくなるのかもしれない。そして、「雪は天からの手紙である」と詩的な言葉を残した科学者がどんな回答を与えてくれるかは分かりませんが、雪に認められているのは、うけとった読者によって異なるものになるのかもしれない、とも思います。

 La neige est blanche.フランス語で「雪は白い」です。ヘレン・ダンモアに『包囲』という小説があります。その英題はThe Siegeです。当時のレニングラードに英語とフランス語もできた人がいて、neigeとsiegeが似ている、という連想をした人がいたのだろうか、敵に包囲された場所の中で雪にも取り囲まれていく、そんな風に思った人がいたのだろうか、それとも、これは私に語学力がないために働く連想で、語学のできる人にしてみれば、neigeとsiegeが似ているなんて思いもしないことなのだろうか、そんなことも考えます。

 私が受け取る雪という手紙はいつも厳しくはなく、残酷でもありません。静謐で気持ちを落ち着けてくれるものです。でも、雪は人によって忌まわしいものである可能性もある。大切な人を雪山でなくした方、毎年の豪雪に不便な生活を強いられる方、災害や戦禍の下で雪を受け止めなくてはいけない方。そう考えると、自分の雪に対する認識は無神経で不謹慎なものにも思えます。

 「あたっか注意報」で描かれるのは、平和な雪の世界。その中で兆しを見せる温かな関係。それらは話数としては自然と躊躇なく享受できる。その一方で、上に書いたような面倒なことも考えてしまう。そんな話数でした。