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北村薫『八月の六日間』角川書店

 主人公は出版社に勤める編集者、女性、アラフォー、独身、です。同棲していた相手と「離れた」あとの落ち込んでいた時期に後輩の同僚から誘われます。

 「明日、山、行きませんか」(p.13)

 以来、山にはまった彼女。折に触れて登った山それぞれについて書かれた短編5編が収録されています。以下、各お話の題名です。「九月の五日間」「二月の三日間」「十月の五日間」「五月の三日間」「八月の六日間」。

 「ミズシマか。綺麗な、水鳥みたいな人だな。」(「二月の三日間」p.85)

 北村薫さんの本を読むのは久しぶりでした。読みながら自分は北村さんの文章が好きだったんだなと思い出していました。

 「まあ―山女ぐらいです」

 「山の女ね。・・・ヤマメってお魚いるでしょ?」(「九月の五日間」p.21)

 

 「《うっとうしい》と《うっとり》は《うっと》までは同じで、共に心の標準ラインを越える。」(「二月の三日間」p.67)

 そういえば、会社の先輩に「君の言うことは文字にして描いてみないと意味が分からないことが多いね」と言われたことがあったな。発想が文字面から起こされるものが多くて口頭で音だけで拾っているとピンとこないという意味でした。自分がそうだと言うとおこがましさも感じるけれども、上に引用した箇所のように会話や想いを展開する登場人物に親近感を抱いて落ち着けるから北村さんの文章が好きなのだと思います。

 「《ここから、道をそれます》と、立花さんはいった。人の道をそれるといえば、悪事に走ることだが、そうではなく、時には決まりきった道筋を、ふと、外れてみるのもいいことだろう。」(「二月の三日間」pp.91-92)

 『アリー・マイ・ラブ』というドラマの中で主人公アリーが法廷で判事に対して「彼女(相手側弁護士)は終わっています」と言うシーンがあります。「彼女の弁論は終わっています」という意味ですが、その話数までの流れを観てきた視聴者にとっては彼女の人生で最低の時期に入っているという意味合いにも響くセリフです。

 「ここから道をそれます」という言葉を立札で見て、聞いてそんな風に考える主人公を読んでいてそのことを思い出しました。

 主人公は山に登りながら過去の色々を思いだして考えたりしています。私は主人公の登山を読みながら昔の事を思っていました。

 「怖い。わたし今、物凄く、怖いよ。」(「九月の五日間」p.43)

 「新島襄の墓」という文字を見た時、その坂道をのぼり始めていました。でも、途中で体調が悪くなり引き返しました。ずいぶん前の事です。主人公が登っている山と私が諦めた坂道では程度が違い過ぎるけれど、登攀の途中で行くか戻るかを考えるとき動けなくなる可能性が頭をよぎり恐怖することは少し想像できます。これも思い出した過去です。

 主人公が「九月の五日間」で入った山小屋には『昨日いらつしつて下さい』という室生犀星の詩集がありました。

 『ついでにとんちんかん』というマンガの中で「一昨日(おととい)来やがれ!」と言われたぬけさく先生が本当に一昨日教室に来たというボケがありました。一昨日と昨日では1日ずれている。しかも「いらつしつて下さい」と言われると(その本音はともかく)丁寧な印象を受ける。昨日来てくださいとはどんな意味なのか。

 辛島美登里さんの「イエスタデイ」という歌に次のような箇所があります。

 「昨日を昨日をさかのぼると明日が見える」

 ずっと意味は何となくでしか分からなかったけれど「九月の五日間」で引用されいる「昨日いつらしつて下さい」を読んで意味の輪郭がはっきりしたように思います。

 そういえば柴田淳さんの「ちいさなぼくへ」という歌も似たようなテーマを扱っているのかもしれない。

 現実にはタイムマシンはありません。ギャグ漫画のボケでおとといへ行くことはできても、実際に昨日へ行くことはできない。でも、『八月の六日間』の主人公にとっては山に登ることが昨日へ「行く」手段なのかもしれない。

 私は山に登ることはできない。けれど、この本を読みながら自分の昔を思い出したように読書がその代わりになるのかもしれません。だとしたら、落ち込んでいる人を見てこう言いたくなる日がくるのかな。

 明日、本、読みませんか?