東野圭吾『ある閉ざされた雪の山荘で』講談社文庫

 「私もまた登場人物の一人になったのだ。」(p.269)

 舞台のオーディションに合格した7人がある山荘へ招かれます。そこで脚本家から命じられたのは、設定に沿って各々が演じることで台本を作っていくこと。

 「あたしたちはすでに登場人物になりきっているはずでしょう?そうすると、これから起きることなんて何も知らないはずだわ。あたしたちが今考えることといえば、いつになったらここから出られるかとか、救助隊は来てくれるんだろうかとかだと思うの」(p.30)

 課された設定は推理劇であること、山荘は雪に閉ざされていること、電話も通じないこと。「現実には」雪も降っていないし、電話も通じる。したがって、何かがあれば電話をかけることもできる。でも、もしそうしたならばその時点でオーディション合格は取り消され失格となる。そんな環境の中、第一の「殺人」が起こります。

 「現実のことをいうのは、なるべくやめましょ」(p.66)

 このお話を読んでいて私は『金田一少年の事件簿』というマンガのことを思い出していました。それは色々な連想が絡まりあったためです。

 まず、雪に閉ざされた山荘という点。これはノベルス版ですが『電脳山荘殺人事件』というお話が金田一少年の事件簿にあったはず。

 二点目が「異人館ホテル殺人事件」で犯人の使ったトリックに演劇のある要素が関係していたことと『ある閉ざされた雪の山荘で』で「被害者」たちを山荘に閉じこめている機構の類似点。見立てと言ってもいいと思うのですが、紙に例えば「この紙を最初に発見したものが死体を最初に発見したものとみなす」と指示されていれば、そのト書きに従い、例えば「戸外の雪には足跡はひとつもなかった」と扉に貼られていれば、そのト書きに従うという、自分は劇を演じているという状況設定を受け入れていなければ規制として働きえないものが人の行動を縛るものとして効力を持ってしまう。

 三点目がお話が進んでいく内に犯人の動機として登場人物たちが挙げる候補に復讐がある点。その復讐の形は金田一少年の事件簿最初の事件、オペラ座館の殺人を連想させるものです。

 金田一少年の事件簿は私が子どもの頃に読んでいたので、ミステリのお決まりや古典的な設定などを使っていることには考えも及ばず、単純に面白いなと思っていました。『ある閉ざされた雪の山荘で』の中にノックスの十戒の話も出てくるのですが、今回この本を読みながら金田一少年の事件簿のことを度々思いだし、あのシリーズも過去のものに多くの事を負っていたのだな、ミステリのことを良く知っている人たちからすれば、そういう風な捉え方をされるものだったのかもしれないなということを考えました。