アイリーン・ウェルサム『プルトニウムファイル』上 翔泳社

 私は自分の不明を恥じます。

 アイリーン・ウェルサムによる『プルトニウムファイル』が上下巻で翔泳社から翻訳刊行されたのは2000年、今から14年も前の事です。現在、古書ではない市場を流通しているのは2013年に刊行された新装版だと思います(こちらは分冊ではなく、1冊の本です)。発売日が2013年1月、となっているので書店の店頭には2012年の内に並んでいたのかもしれません。

 東日本大震災以後、地震放射能原発そして東日本大震災自体を取材した本が非常にたくさん出ました。中には「緊急出版」を謳ったものも数多くありました。そうした状況で過去に出版されもう新刊市場では手に入れにくくなっている本が復刊されたり手に入れやすい形で(文庫化など)再び登場してくるのを見ると、その流れをどうしても震災と結びつけて捉えてしまっていました。

 だから、『プルトニウムファイル』が新装されたことも、その一環だと勝手に思っていました。本に何が書かれているか全く知ろうともせずに。

 「日本に原子爆弾を落とす四ヶ月前、マンハッタン計画の医師が人体実験に乗り出した。きびしい機密保持システムが、その詳細を延々五〇年も闇に閉じこめてきた。」(p.vi)

  原爆の投下によってたくさんの命が奪われたと聞いています。でも、その大量殺戮兵器を作る過程でも人間の命が犠牲になっていた。これは何なんだ、そう素朴に思います。

 「実験に選ばれた人たちは、もう寿命でした。どのみち間もなく死ぬ人たちだったんです」(p.93)

 症状が末期にある人を選びプルトニウムを注射する。本人には告知も詳細な説明もされない。実験体となった人には、その後すぐに亡くなった人もいれば、生きた人もいる。でも、体の中から被曝し続けた影響であろう症状の記述からは、破壊された人生をどうしても想像してしまいます。もう死んでしまうからといって、その間の人生はどうでもいいわけではない。まして、他人にそれを決めつけられるいわれもない。

 更に、実験者たちにとって「都合がいい」ことに誤診もあったそうです。

 「誤診は千載一遇のチャンスとなる。代謝機能が正常なので、健康な作業者のプルトニウム代謝・排泄をつきとめる願ってもない情報が手に入る。」(p.149)

 この本には、人体実験のみならず、原爆製造に関わった人たちの被曝、死亡の話も出てきます。作っている人自身が造ろうとする物自体に殺されてしまう。そこまでの犠牲を出してそれでも進んでいく兵器開発を貫く推進力、意志は誰か一人の人間に帰することができるのか。これは一体、何なんだ、という思いが読みすすめるほど強くなっていきます。

 「国民の恐怖心を鎮め、マンハッタン計画の研究所や工場を死守しようと腹をくくった准将は、放射線の怖さを過小評価することに決めていた。」(p.123)

 広島・長崎が原爆で焼かれた後、そこへ調査目的で派遣された米国の軍人もいたはずです。

 「日本が降伏したら現地へ飛び、原子爆弾放射能と被害を調べてほしい」(p.112)

 それを指示した者は、派遣先がどういう危険を含むか知っていたのでしょうか。あるいは知っていて敢えて命じたのでしょうか。ここでも人の人生・命が軽んじられていることに恐怖を覚えます。

 上巻の最後はある施設と、そこからのひとときの逃避を提供する事業の話になっています。施設の名はファーノルド校。MITが提供していたその事業名は「サイエンス・クラブ」。サイエンス・クラブで過ごす時間と引きかえに子どもたちは放射性物質を混ぜた食事を食べさせられていたといいます。

 この本を読み進めて自分から出てくるのは、これは何なんだという繰り返されるつぶやきです。上巻の最後で、対象が子ども中心の「人体実験」が綴られることで、その思いはさらに強まります。