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駒沢敏器『語るに足る、ささやかな人生:アメリカの小さな町で』NHK出版

 「ごくささやかな小さな町を舞台に、誰もが人生の主人公だった。語るべき内容と信念を人生に持ち、それでいて声の大きな人物はひとりもいなかった。」(p.7)

 アメリカには、そこに住んでいる人以外、誰にも知られていないような小さな町「スモールタウン」が無数にあるそうです。そのスモールタウンだけをたどるという制約を課し大陸を横断した紀行文がこの本です。

 この本の題名をはじめて見た時に私が感じたのは「NO」でした。題名は「語るに足る」で肯定ですが、そこからは語るに足らないと切って捨てるモノの存在が暗示されていて、それへの反抗が題名には込められているように感じられました。

 「私たちは人間なんだ!それなのに私たちは簡単に忘れられた。」(p.273)

 アメリカにとってルート66という道は特別な存在だったそうです。ルート66につながっていたセリグマンという町はインターステイトというハイウェイが通る際にバイパスされてしまった。

 この本を流れるトーンはとても静かです。著者自身も含めて文字通り「声の大きな人物」は誰も出てきません。そんな中、数少ない声を荒げた人物のひとりがセリグマンに住む人物でした。

 「どのスモールタウンにも当てはまる共通点は、音が少ないということだ。」(p.147)

 繰り返しになりますが、著者自身も声高に主張をする本ではありません。それだけ一層、セリグマンに対する当局について書かれた部分の辛辣さが際立って印象に残ります。

 「州政府はそれを何の感慨もなく、ひとつの町に対しておこなった。町に対しておこなったということはつまり、そこに住む人を人として扱うことを省略した、ということだ。この町はどうなってもいいという判断は、そこに住む者も視野から消してしまうことだった。ここに今1枚の地図があり、そこに有力者と呼ばれる人たちがいて、セリグマンという地名は彼らによって、ボールペンの×印で消されてしまった。」(p.262)

 読む前はひとつの疑念がありました。スモールタウンの素晴らしさを説き、その理想から外れるものを糾弾していたりはしないのか。

 「料理が下手なのではなく、不味い。これはある事柄を意味している。不味いというのは、その町が昔から大切にしてきた何かが消えていき、そしてもはや失われていることを示しているのだ。」(p.77)

 うまくいっていない町もあれば、うまくいっている町もあります。

 「『プライドを持たないでどうしてお金だけで生きていけるのか、という問いかけが大切なのだと思います』とジェニングスは言った。」(p.191)

 著者はそこで声を大きくはしません。淡々と記述を進めるだけです。

 「大学や工場など、外から経済力を誘致したスモールタウンは、ほぼ例外なく投げやりなところがあった。」(p.265)

 価値判断は、はっきりと書かれています。この本で描かれるスモールタウンは著者の「こうあってほしい」が投影された一種の裏返ったオリエンタリズムのようなものではないか、と言うこともできるかもしれません。でも、私にはこの本がスモールタウンをいいとか悪いとか言っているものだと感じられませんでした。

 あとがきで著者はこの旅をした動機のようなものを述べています。

 「アメリカ大陸を飛行機で横断してしまったとき、痛恨のミスを犯した、と僕は気づいた。」(p.277)

 ティム・インゴルドの『ラインズ』という本があります。線はプロットした点を繋げたものではない、ということを考えさせられる本です。例えば、線はそれを引く手がたどった痕跡。時系列が逆なのです。予め点があってそれを結んでできるのではなく、順につなげて描いた後にできる跡が線。

 飛行機で横断した軌跡は自身で描いた痕跡ではなかった。

 何かを語る必要がないと切って捨てるのは、それが悪いものだからではきっとありません。そこにあるのは、無関心。データベースではない語りにはランダムアクセスはできません。それを順にたどるしかない。

 駒沢さんが実際に自分の足(といっても自動車ですが)でたどった痕跡であるこの本は、たしかにそこに登場する人たちが「語るに足る」ということを静かに示してると思います。