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仁木悦子『猫は知っていた』ポプラ文庫ピュアフル

 思わず、何を?と思ってしまう題名です。犯人をでしょうか、動機でしょうか、凶器でしょうか。作中で殺人か犯罪が起こり、それが解決されるお話だと知ってもなお、「猫が知っていた」とはどういう意味なのか知りたくなる。いい題名だと思います。

 読み終わって考えるのは、猫は本当に「知って」いたのだろうか、ということでした。一部始終に関与し、あるいは「目撃」していたとしても、それは「知っている」ことになるのでしょうか。

 「本格ミステリとしての知的興奮とともに、時代小説として昭和という未知の過去を体験する楽しみ方です。」(p.298)

 解説で大矢博子さんという方がこの本の楽しみ方のひとつとして挙げてらっしゃいます。

 以前、テレビか何かで「昭和」と呼ばれている女の子を見ました。ある「国民的」アイドルグループの一員だという彼女を見て最初は初期のモーニング娘。の中澤さんのような方なのかなと思っていました。当時、私自身、昭和っぽいと言われることが多く、それで気になったのだと思います。何かの綾で若い子の中に入ってしまった。それで年齢や志向のことでいじられている、そう思っていました。

 私自身、正真正銘、昭和生まれなので昭和っぽいと言われようが、古いと言われようがさほど気にはしていませんでした。ところが、彼女は平成の生まれでした。

 彼女は、何かの場面で昭和歌謡が好きだと言っていました。その理由は平成の歌のテンポが速くて合わないから。いや、あんたの所属するグループの歌は平成の曲じゃないんかい、と心の中でツッコミをいれつつも、昭和の歌が好きだという意味合いもなんとなく分かりました。

 最近、小田和正さんの歌をよく聴くようになりました。オフコースの『さよなら』や『秋の気配』などは昔から知っていましたし、辛島美登里さんが何かのラジオ番組でオフコース(小田さん)の曲を弾き語りする企画をノリノリでやっていたのも覚えています。でも、それほど気になる方ではなかった。むしろ、あるラジオ番組でのDJの方への態度に尊大さや横柄さを感じてしまって、あまり好きではなかった。

 もう10年くらい前ですが、仕事から帰り点けたTVで偶然、『クリスマスの約束』という歌番組をやっていました。そこで持ち歌ではない曲を演奏し歌う小田さんの姿に気がつけば見入っていました。宇多田ヒカルさんのIt's automaticも歌っていたと思います。そのアレンジや演奏から曲をきちんと演奏する人だという印象を持ちました。語弊を恐れずに言えば、ちゃんと音楽をやっている人だと感じました。

 また、何かのチャリティーコンサートの開催を追った映像では、吉田拓郎泉谷しげるといったクセの強そうな人たちに挟まれて調整役をやっているかのような姿が印象的でした。

 そして、何年か前の『クリスマスの約束』で松たか子さんと歌った『to U』。オリジナルの人たちが歌ったそれはどこかで耳にしたことがあったけれど、小田さんと松さんで歌うそれは、歌詞の通り、愛という形のないものは温もりや優しさといった人というはっきりとしたカタチあるものを通して伝わり理解されていくものだ、ということを高い説得力で伝えていました。同じ楽曲でも演者によって引き出されるものも説得力も違って聞こえる。その後は、いろんな曲を聞いても小田さんが歌ったなら、どう聞こえて響くのだろう、と考えることが多くなりました。

 そして今、小田さんの歌をよく聴くようになったのは、そこから感じる時間の流れが自分に合っているからだと思います。

 話は戻ります。昭和の歌、平成の歌、といった風に区切ることができ、昔の歌の方が遅い・ゆっくりしている、というのが正しいのかどうかは分かりません。だったら、平成の次の世では歌はもっと速くなっているのかもしれない。あるいはテンポやリズム、旋律といったものが瓦解したものが音楽になっているのかもしれない。

 昭和歌謡が好きだと言い、古い・昭和っぽいと言われながらもそれを貫いていくかのような彼女の姿は、仮にキャラとして作っていたものだとしても、小田さんの歌の中にある私を引きつけるものに通じる何かを指向しているように感じます。

 ボサノバ調の音楽を背景に鎌倉を歩く彼女の姿はとても似合っていました。私もできることなら、あんな印象を人に与えることのできる人になりたかった。同じように昭和っぽいと言われても自分には上にあげたような要素があるのだろうか、と考えます。

 さて、長い脱線話でした。

 この本ではもちろん、殺人が起きます。起こっていることはシビアです。でも、文章を読んでいて感じるのは「昭和」です。自動車を運転できるのが一部の限られた人だとか、設定されている時代のせい、ということはあると思います。でも、同じような背景で同じような時代を描いても、この本の空気を全ての人が出せるかというとそうではないように思う。それが仁木悦子さんの著作に流れるものなのかもしれない。

 私はこういう本が好きだと言いたい。そのことが古いと揶揄されることにつながっても。