大崎梢リクエスト!『本屋さんのアンソロジー』光文社文庫

 大崎梢さんがいろんな作家さんに本屋(新刊書店に限る)さんという縛りで依頼した短編によるアンソロジーでした。以下、著者と収録されているお話の題名です。

 

 有栖川有栖「本と謎の日々」

 坂木司国会図書館のボルト」

 門井慶喜「夫のお弁当箱に石をつめた奥さんの話」

 乾ルカ「モブ君」

 吉野万理子「ロバのサイン会」

 誉田哲也「彼女のいたカフェ」

 大崎梢「ショップtoショップ」

 似鳥鶏「7冊で海を越えられる」

 宮下奈都「なつかしいひと」

 飛鳥井千砂「空の上、空の下」

 

 私はこの短編集を著者と書店業界との距離を考えながら読んでしまいました。勝手な偏見ですが、かつて業界に身を置いたという事情でもない限り(たしか、大崎梢さんは元書店員でした。)作家さんは書店を店舗の側から見た形として馴染みが薄いのではないかと思います。逆にお客さんとして利用する側からよく見えている、ということはないのでしょうか。かつてアルバイトをしていた、出版社の人間だった、取次の人間だった、実際のところは分からないのですけれども。

 そこで、主人公(語り手)の視点という角度でお話を分けると次のようになります。

 視点が店舗関係者である

  「本と謎の日々」「夫のお弁当箱に石をつめた奥さんの話」「モブ君」

  「彼女のいたカフェ」「7冊で海を超えられる」「空の上、空の下」

 視点がお客さんである

  「国会図書館のボルト」「ショップtoショップ」「なつかしいひと」

 視点が動物である

  「ロバのサイン会」

 最初の思い込みに反し、お客さん側から描いたものより従業員側から描いたものが圧倒的に多かったです。これは日常性のミステリのような形をとる場合、謎を運んでくるのはお客さんでそれを解くのが従業員側になるという構造上の制約のようなものが存在するからでしょうか。

 さて、次に各お話に表れている書店員・書店「らしさ」、お客さん「らしさ」について気になった点を考えてみます。

 「上っ面だけの温くてうっすい漫画好きも書店員としては使い物にならない。」(「本と謎の日々」p.19)

 単純に考えると書店員=本の好きな人という図式が思い浮かびます。でも、漫然と好きなだけじゃだめだと、有栖川さんが描いた書店の人は考えている。漫画というジャンルを熟知していて、その仕組み構造特徴など枠組みを他のジャンルを理解する上で応用できるくらいでないと「使える」とは言えない。

 また、「モブ君」では「本が好き、だけじゃ勤まらないですよ」(p.126)と登場人物である店長は言っています。

 「自分が好きなものにさえ金を払いたくない人間がいるんだよ。本人がよっぽど安い人間なんだろうな」(「本と謎の日々」p.36)

 立ち読みだけで本を読み切る人間のことを登場人物はこう判断しています。

 こういう書き方をすると微妙なのですが、なにが正しい形でなにが正しくない形か、という意味ではなく、登場人物たちにこのような言葉を言わせる背後にあるもの、その言葉が意味するところと著者との距離感が常に気になりました。

 例えば、大崎梢さんが書かれているものにそういったセリフが登場すれば、大崎さん自身がそう思っているかどうかは別にして、自身の経験を反映したものではないか、と考えることができます。繰り返しになりますがそれが正しいかどうかではなくて、読んでいく上で設定として経験に基づいているという安心感のようなものを感じることができる。

 でも、この本に収められているお話を読んでいると、その部分がふわふわしている感じがして何故か落ち着かないことが多かったです。

 「夫のお弁当箱に石をつめた奥さんの話」を読んでいても、座りの悪い感じを受けました。門井慶喜さんが書かれた『おさがしの本は』という本を以前読んだことがあります。そのときに感じた違和感に似たものをこの短編でも感じたからだと思います。

 「夫のお弁当箱に~」での謎は奥さんが提示した条件に合致する本を見つけだすことなのですが(舞台は図書館ではなく新刊書店ですが)レファレンスワークのようなものです。でも、謎を解く側が採ったのは実際の書架、じゃなかった棚から現物の本を引いて手当たり次第に探していくという方法でした。カード目録の時代ではないのだから、そして、書誌情報はなくともその本の特徴はいくつも分かっているのだから、最初に別の手段を使ってもよさそうな気がします。若い子たちが、いの一番に頼る例の先生にお伺いを立てるとか。

 更に「7冊で海を越えられる」では、謎を解く大前提となっていることの普遍性が気になったりしました。このお話の中で普通とされていることの逆パターンが実際に存在することをたまたま知っていたためです。ただ、このお話ではそれが普遍的だから謎が解決できるのではなくて、仮に特殊な場合であっても、「犯人」がその個別具体的な場合においてはそれが「普通」だと知っていることが謎が解けるかどうかにかかっているのでいいのですが。

 「私は、本を読まない男性に興味はない。いくら顔が好みだとしても、一流の会社に勤めているとしても。」(「空の上、空の下」p.324)

 と、なんとなくうわの空で読み進めてきたこの本ですが、最後の「空の上、空の下」は好きでした(宮下奈都さんの「なつかしいひと」も良かったです)。

 上遠野浩平さんの小説に出てくる登場人物の名前のせいでこれまで飛鳥井千砂さんを男性だと思っていたのですが、読んでいる内に女性なのではないかと思えてきました。

 「見てしまったのだ。ゴミ箱の中に、本が捨てられているのを。」(p.309)

 「空の上、空の下」の主人公は空港にある書店に勤めています。本に対する強い想い入れもあり、暇つぶしに本が読まれることにあまりいい気持ちを持っていません。本を買ってくれたお客さんには「いい読書体験になるといいですね」(p.317)と思いたいような人です。だから、暇つぶしを象徴するかのような光景を見て心が揺れてしまいます。

 「仕事にやりがいが見つけられないということは、延いては生きがいを見つけられないという事態にも発展しそうな気がする。」(p.317)

 結局、私は主人公が理想と現実のはざまで逡巡するようなお話が好きなのかもしれません。この短編集を通じて感じたことも所詮、自分の好き嫌いのせいだったのかな、と思います。