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倉知淳『壺中の天国』下 創元推理文庫

 上巻で2人が殺害されましたが、下巻のはじまりでは3人目が殺されます。ここで連続殺人事件が起こっている街は俄かにパニックの様相を呈してきます。

 「いっそのこともっと長びけばいいのに、とまで考えている。身近にこれだけ大きな事件が起こる幸運は、そうはないのだから。」(p.9)

 そう思えていられたのも自分が被害者になることはない、と高を括っていられた間だけでした。2人目までは「若い」「女性」が被害者でした。でも3人目は違った。

 「コピーをご利用のお客さまは身分証の提示をお願いします」(p.100)

 事件後、犯人が流布する電波怪文書はコピーされていました。そのため、コンビニで文書をコピーする人に対して上に挙げたようなバカげた対応がとられたりする。通常時なら「おかしい」と思えることも、平気で行われていく。もはや対岸の火事ではないのだから。自分が安全圏にいると思い込める事件は、はしゃぎの対象となる。祭りのようなものかも。

 4人目の被害者が出るにいたって、被害者の共通項はまたひとつ崩されてしまいます。

 このお話を読みながら、私は目の前に実は最初からはっきりと曝されているのに気づくことができないのはどうしてだろう、ということを考えていました。と同時に劇場版『踊る大捜査線』で小泉今日子さん演じる凶悪犯に青島・恩田ペアが助言をもらったシーンを連想してしまってもいました。

 「どうも僕は、この犯人は本気なんじゃないかと思うんですよ」(p.61)

 「判んないかな―殺された人はみんな〇〇の××なんだよ、それが共通点」(p.156 伏字引用者)

 思想や考え、頭の中を侵犯する媒介のレトリックとして電波の親和性が高いのはなぜなのでしょう。発信、アンテナ、受信、というものがイメージしやすいからでしょうか。そして電波は遮ることもできる。

 題名である「壺中の天国」という言葉は上巻で次のように説明されています。

 「俗世を忘れさせる理想郷、別天地」(上巻p.260)あるいは、

 「壺中の天には、自分の大切な、大好きなものしかないんだから」(下巻p.308)

 このお話に登場する人物はそれぞれに「壺中の天」を持っていました。そして、犯人も。壺の外から眺めれば不可解な連続殺人も、犯人の壺の中から考えれば共通項が見えてくる。犯人が本気なんじゃないかと思うことによって見えてくる。

 「本当に好きなこと、夢中になれるものを一つでも持ってるって、凄くいいことじゃないかと思うんだ。」(上巻p.273)

 この本の中には「壺中の天」を持つことを肯定する発言が何度か出てきます。でも、それらは一見、無差別に見える連続殺人という物語の柱によって否定されてしまう。

 「いつかは出て来て、現実と向き合わなくちゃならない。」(下巻p.308)

 「おたく」であってもいいけれど、線引きは重要。こんなまとめ方をしてしまえば、この本はとても陳腐なことを言っているように見えてしまう。けれど、この本の魅力はその新奇性ではなくて、描き方にあるように思います。

 読んで読んでたどり着いた結末に、「ああ、そうだな。」と思ってしまう、そんな本でした。