八木沢里志『森崎書店の日々』小学館文庫

 「本が好きな人間にとって、この街ほど素晴らしい環境は二つとないからね。」(p.45)

 千代田区神田神保町、そこが「ああいう」場所だと知ったのは10数年前でした。『R.O.D.』というアニメに描かれていたその街と、そこに住む主人公の生態は基本的に出不精でじっとして本を読んでいるのが好きな自分にとって憧れの的となりました。

 主人公である女性は恋人(二股をかけられていた挙句、自分の方が遊びだった)と仕事を失います。そこに救いの手をさしのべてくれたのが、10年以上連絡もとっていない、でもかつては好きだった叔父です。古書店を営む叔父は、店を手伝うことを条件に居候することを提案します。急な提案に迷う彼女でしたが・・・。

 「けっきょくわたしがとった対処法は、ただひたすらに眠るということだった。」(p.10)

 せっかく本があふれている場所で暮らすことになったのに、店番を叔父に代わった後に主人公がするのは睡眠のみです。

 「明かりを消すと、急に部屋がしんと静まり返った気がした。あふれた本が、音をみんな吸収してしまっているような感じだ。」(p.24)

 たしか、磯谷友紀さんの『本屋の森のあかり』で出版社の倉庫内にあふれる本を「本の森」と形容しているシーンがあったと記憶しているのですが、本に囲まれた場所はどうして静謐さを醸し出すのでしょうか。

 自分の生活する部屋も文字通り本に囲まれているのに主人公は眠り続けます。私だったらどうかな、と考えます。やっぱり本を読んでしまうと思う。読み倒してしまうと思う。でも、震災の後、自分が直接被災したわけでもないのに本を読んで何になるのだろう、と考えたことを思い出すと、この主人公のように個人的な危機に陥ったら読書なんてできなくなるのかもしれない。

 「目がさめたときにたいせつなのは、ねむっているあいだも、だれかが自分のことを考えてくれていた、ということなんだ」(トーベ・ヤンソンムーミン谷の十一月』講談社文庫 p.279)

 彼女の叔父は世話焼きな感じです。最初は彼女もそれを疎ましく感じています。でも、叔父が助けてくれるのには理由がありました。

 叔父の奥さんは家でをして5年間行方不明、という設定です。この本にはその奥さんが帰ってくるお話「桃子さんの帰還」も収録されています。

 桃子さんもまた、個人的な危機を抱えてしまった人だった。それを救えたのは森崎書店の日々を過ごした主人公でした。でも、森崎書店での日々を、それ以前の個人的な(傍から見たらたいしたことのないかもしれない)危機を経験してない主人公だったら、桃子さんを「救う」ことはできなかったのかもしれない。

 そして、主人公を救ったのは、彼女が眠っている間も彼女のことを考えていてくれた叔父でした。ということは叔父がいなければ、桃子さんに救いはなかったことになるのかもしれない。

 しかし、お話にはもう一段あって、その叔父自身もかつて危機を抱えていました。そしてそれを救ってくれたのは誰かというと・・・。

 誰かに助けられた、誰かのおかげで今の自分がある、そう考えるのはその「誰か」にとっては意外なことで勝手にそう思っているだけでしょ、ということもあり得る。でも、知らない間に人の救いになり、逆にその人に救われ、結果として別の人の救いにつながる、そういうこともある。

 「一つ訊いただけでこんなにも説明が返ってくる叔父にも、正直、関心させられてしまった。」(p.21)

 1聞いたら10返ってくるね、という言葉を皮肉なんかではなく、相手の自分に対する感心と捉えてもいいのかな、勝手に自分の救いの一つとしてもいいのかな、と考えます。

 この本は本に関する薀蓄はあまり出てきません。でも、本のある場所、本に関わる人が属する時間の流れにぼーっとたゆたったような読後感がする本でした。

 神保町に住む、という選択肢も人生にはあるのか。