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仲正昌樹『いまを生きるための思想キーワード』講談社現代新書

 この本を読もうと思ったのは、人文系の言葉でよく分からないものが結構あって、そういった言葉とお近づきになれるかな、と思ったためです。

 各キーワード毎に章立てとなっていて解説が施されています。取り上げられているキーワードは以下の通りです。

 正義

 善

 承認

 労働

 所有

 共感

 責任

 自由意志

 自己決定/自己責任

 「心の問題」

 ケア

 QOL

 動物化

 「歴史(=大きな物語)」の終焉

 二項対立

 決断主義

 暴力

 アーキテクチャ

 カルト

 イマジナリーな領域への権利

 「人間」

 一部は違いますが、日常会話の中で素知らぬ顔で出てくる言葉が多かったです。ただ、日常で使うのと「思想」の場面で使われるのとでは、意味が異なっていることがあるそうでそのあたりが説明されていました。

 「『哲学』で使われる用語には、一見日常的に”我々”が慣れ親しんでいる言葉のように見えて、かなり意味がズレているものがある。」(p.5)

 これは「哲学」と「日常」の二項対立、と言っても差し支えないのでしょうか。

 「”二項対立批判”とその投げ返しは、『□□という対立を強調することこそ二項対立だ!』という定型文の、□□のところに、分かりやすい言葉を入れればいいだけなので、比較的容易である。」(p.128)

 試してみよう。「哲学と日常という対立を強調することこそ二項対立だ!」本当だ。

 それはともかく、各キーワードの「哲学」上での意味と関連する思想家の名前などを知ることができて分かったような気になれる本でした。すぐに思い出せるのは「動物化」の東浩紀さんくらいですが。

 特に気になったのは「アーキテクチャ」というキーワードでした。

「人間の行動の範囲を物理的に制約するように設計されている、環境的な「構造」を意味する」(p.151)のがアーキテクチャだとされています。この説明を読んで思い出した一節があります。

 「見えないものを可視化し、語ることなく利用者に気付かせて、そっと背中を押してあげる、そんなデザインです」(『震災のためのデザインには何が可能か』p.154)

 問題や課題があるときに、デザインによってそれを解決しようとする場合があります。人に気づかれることなく支援している、便利にしている、そう聞くと気遣いや優しさのようなものを感じます。でも、そういった目的でできることは逆の目的にも使えるような気がします。

 見えていたものを不可視化し、語ることなく利用者に忘れさせて、そっと足をひっぱる、そんなことも可能な気がします。

 そして、利用者が知らないうちに行動を方向づけるという考えの中には、利用者の属性に関わらずそうなるようにしようという意図が潜んでいるように思います。

 スキルがあろうがなかろうが「できる」ように手順やマニュアルといった環境がと整えられる。そこでは個々人の判断や考えはどうでもいい。というよりも、そんなものはむしろ存在しないほうが都合がいいのかもしれない。

 この本の説明の中でアーキテクチャによるコントロールが究極まで進んだなら自由意志の主体という法的虚構が必要なくなるとされています。

 話はズレますが、最近読んだ書体に関する本で書体・フォントの違いに敏感な人はそうでない人とは違った世界を見ているのではないか、と感じることがありました。その中で、フォントの変更が読者の読む気を減退させる効果を持っている、でも多くの人はそのことに気づかずになんとなく読みたくないと思っているのではないか、という考察がありました。

 もともとは哲学だったり現代思想の言葉だったものが「日常」の中でズレた意味で使われることが多いというのが本当だとしたら、もしかしたら、人をそうさせる何らかのアーキテクチャラルな仕組みがあるのかな、と思いました。