正木香子『文字の食卓』本の雑誌社

 「前となにか違うと思わない?」(p.141)

 正木さんは『Number』を読んでいる夫にがまんができなくなって尋ねてしまいました。

 『Number』にはかつて石井太明朝オールドスタイルという書体が使われていたそうです。それが使われなくなった。自分にとっては気になって仕方がない変化。でも、『Number』をいつも読む夫はそれに気づいていない様子。

 「書体が消えていくのは、時代に必要とされなくなったからなのかな。」(p.141)

 むかし、あるTVドラマのミステリもので和菓子屋さんを舞台とした回がありました。殺人の動機には、大量生産を推すのか、職人芸的な質の高いお菓子でいくのかという方針の対立が絡んでいました。その中である登場人物がこんな感じのセリフを言っていました。「そんなお客さんがいるのは幸せなことや」。

 「味に口うるさい常連客を気どっている私のような人間は、まだいい。」(p.233)

 正木香子さんの本を読むのはこれが2冊目です。文章を読んでいると、彼女の書体に対する感度は独特のものだと感じられます。でも、それは単純に自分の感度が鈍いだけであって、書体に馴染んでいる人にとってはまた違ったものに感じられるのかもしれない。

 正木さんは書体を「食べる」方、味わう方ですが、作るほうである小林章さんという方の本を読んだことがあります。その中で小林さんが尊敬する人の言葉として次のようなものが紹介されていました。

 「スープを飲んだあと、使ったスプーンの形がありありと思い出せるようなら、そのスプーンのデザインは悪かったということだ」(小林章『フォントのふしぎ』美術出版社 p.200)

 偶然ですが、正木さんはスープスプーンが好きだそうです(p.116)。書体を作る側からすれば、読者にその存在を気づかれないのが理想。でも、その存在を高い感度で捉えてしまう正木さんがスープスプーンのコレクターだなんて、とても面白いです。やはり正木さんは、普通の人が気づけないものを見てしまう人なのだと思います。

 「〈光村教科書体〉は、卒業してから一度も会わない友だちみたいだ。」(p.153)

 毎日のように見ていたのに、もう2度と目にしない文字もあるなんて。そして、失われていくもの、無くなっていくものの影響についても思いを馳せています。

 「今までつかえた書体がつかえなくなる、ということは、創作にどのような影響をもたらすのだろう。」(p.186)

 その影響は使う側だけにあるわけではありません。

 「『読む気が失せた』理由など、わざわざ考えようとしない一見の読者が大多数である。そのことの方がこわいと私は思う。」(p.233)

 書体・フォントの違いがそれをまとっている内容の受容にまで影響する。だとしたら、あるSNSが時折ユーザーのつぶやきのフォントを変更しますが、そこに何らかの意図があったりするのだろうか、と考えてしまいます。

 「私たちの目にうつっている世界には、この文字でかかれることを望んでいる言葉がきっとあるはずなのに。」(p.250)