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津原泰水『ルピナス探偵団の憂愁』創元推理文庫

 「そうとでも思わなかったら、とても耐えられないじゃないか」(p.15)

 この本の前作『ルピナス探偵団の当惑』で私は以下の言葉が気になりました。

 「お葬式で号泣している人が、真に死を悼んでいるとは限らない。」(『ルピナス探偵団の当惑』p.77)

 最初に引用した言葉は早逝した友人に対して「美人薄命だ」という言葉を使ったことをたしなめられた後の反応です。

 「可哀そうなドードーのイメージに囚われてしまっている僕らは、ドードー料理の美味にはなかなか思い至りません。しかし絶滅に追い込まれるほどの勢いで食べられたんだから、よっぽど美味しかったんでしょう。」(p.103)

 ドードーについてはデイヴィッド・クォメンに『ドードーの歌』という本があります。河出書房新社から上下巻で出ています。絶滅させられた鳥、というのは鳥の側からの物語であって、絶滅させた側からの物語もあったのかもしれない。

 「ただ犯人を挙げるだけが我々の仕事じゃない。事の真相を見極めなければ、事件が解決したとは云えないんです。」(p.182)

 欠けてしまったルピナス探偵団の一員は、『当惑』では目立たない存在でした。彼女にも物語がある、ということは忘れてしまっていた。

 「親から嫌われるほうが怖いって、私にはわかる。」(p.215)

 「知ってるわ」(p.221)

 分かるという言葉も、知っているという言葉も嘘くさく響くことがあります。でも、『ルピナス探偵団の憂愁』を読み進めてきた読者には、「彼女の物語」がこの言葉を言わせていると感じさせる。その物語を知らずに同じ言葉を読んでも、響き方は異なっていると思います。

 「よく引き受けたよ」(p.284)

 『ルピナス探偵団の憂愁』の最終話で彼女は犯人を追いつめる現場にいません。犯人を追いつめるために、蚊帳の外で身を危険にさらしています。現場にはいないけれど、犯人に自白させるために重要な役割を担っている。 

 事件が解決するのを待つ間、彼女の心に去来したものは何だったのでしょう。何を思いながら終わりの合図を待っていたのでしょう。ここでの彼女の物語は記述されていません。でも、人には自分の物語があり、それに支えられて、時には背中を押されて行動してしまう、言葉を発してしまう、それを知ってしまった後では、その間の彼女の視点が気になってしまう。

 「今まで気づかなかった?私は厳しい人間よ、自分に対してもだけど、他人に対してはもっと」(p.216)

 そうやって知られた彼女の姿は他3名の探偵団の中できっと永遠になるのだと思います。

 「たとえ死が我らを分かつとも」(p.289)