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青柳碧人『浜村渚の計算ノート 2さつめ:ふしぎの国の期末テスト』講談社文庫

 「人殺しの手伝いは、しないです」(p.62)

 1冊目である『浜村渚の計算ノート』で彼女がテロ組織側に回ったら、というお話も出ていましたが、今回の巻でもきっぱりと犯人たちを否定しています。

 「数学というのは、覚えるものじゃなくて、理解するものなのね」(p.116)

 このシリーズを読んでいると、どうしても自分が受けてきた数学の教育を思います。小・中・高と数人の先生に習ったけれど、その中でご自身が数学が好きなんだなと感じられたのはたった1人でした。私には分からなかっただけで、他の方も本当は好きだったのかもしれないけれど、自分自身で数学を「している」と感じさせるのはその先生一人でした。

 「数学なんて勉強して、一体将来何の役に立つの?」(p.308)

 「あとがき」によるとこの浜村渚シリーズが生まれたのは、青柳さんが塾講師をしていたときに生徒から受けた問いがきっかけだそうです。陳腐な問いかけです。どこにでも転がっている、誰でも一度は耳にしたことのありそうな疑問です。「数学」の部分を他の何かに入れ替えたものも数多くあります。特に歴史については、マルク・ブロックという人をして1冊の本を書かせてしまいました。

 たしかに、数学なんて勉強して数学ができる人たちがこの本でやっているのはテロという犯罪です。この本の中で当局が考えるように道徳授業に重点を置き芸術的な感性を養えばいい人間をつくれるのかもしれない。でも、それは数学を勉強した「から」犯罪に走っているわけではない。

 ある人の数学が正しいかどうかと、ある人の数学の使い方が正しいかどうかはきっと別ものです。浜村渚も、犯行を否定しても犯人の数学の正否は認めています。

 「人殺しの手伝いは、しないです」(p.62)

 彼女が否定するのは、そういった使い方をしてしまったら数学に対する自分の想いを汚してしまうから。

 「数学を、ちゃんと好きでいたいんです」(p.63)

 数学を好きだから守りたい、教育行政の中で高い地位を与えていたいという想いはいつの間にか、数学の方に甘える形で数学を好きな自分を認めて欲しいという考えにすり替わっているのかもしれない。

 「もちろん、文系の脳がボクたちより劣るのは、明らかなんだけど」(p.17)

 テロリストと浜村渚の対照は「正しさ」が数学の外にあることを感じさせます。

 数学を学ぶことが将来の利益につながるわけじゃない、何かの役に立つかどうかは自分次第。それは単純に自分の生徒に数学は面白いものだと伝えることに留まるかもしれない。でも、数学が全くできない生徒に対しても、その面白さ楽しさを授業を通じて伝えることができることも「役に立っている」と言えることなのではないか、最初の方で触れた先生のことを思いだす度にそう考えます。

 ケーニヒスベルクの橋を渡るために付け加えなくてはいけない最後の1本は「自分」ではないでしょうか。

 

 以下、各お話の題名と覚書です。

log10.「その処刑台、カラフル」

log100.「麗しのルイ嬢」

 ドネラ・H.メドウズ『成長の限界』ダイヤモンド社

log1000.「割りきれなかった男」

 蓑谷千凰彦『正規分布ハンドブック』朝倉書店

 安部龍太郎等伯』上・下 日本経済新聞出版社

 トマス・ピンチョン『競売ナンバー49の叫び』ちくま文庫

log10000.「不思議の国のなぎさ」

 ロビン・ウィルソン『数の国のルイス・キャロルソフトバンククリエイティブ

 ルイス・キャロル『不思議の国の論理学』ちくま学芸文庫

 森博嗣すべてがFになる講談社文庫