佐々木敦『ニッポンの思想』講談社現代新書

 この本を読もうと思ったのは、河野至恩さんの『世界の読者に伝えるということ』を読んでいて、よく分からない日本の思想の流れというか、要するに人名と関連する用語の布置を知ることのできそうな本だな、と思ったためです。

 「『わかりたいあなた』が、本当のところ全然わかってなどいなかった(だってわかるわけないものだったんだから」)、という信じ難い事実が、忘れた頃になって開示されたわけです。」(p.278)

 上に引用したのは、いわゆる「ソーカル事件」、『知の欺瞞』に関して述べられている箇所です。ここで「わかりたいあなた」として名指されているのは、「ニューアカ」に踊らされたとされる80年代の人たちです。

 最初に述べたような動機でこの本を読んだ私も「わかりたいあなた」の一人なのかもしれません。そして、全然分かっていない一人でもあるのでしょう。

 ですから、「ニューアカ」と聞けば条件反射のように浅田彰、『構造と権力』、中沢新一(そういえば、メチエから「カイエ・ソバージュ」ってシリーズが出てたな、『アース・ダイバー』って本が話題になったこともあったけど、割と最近、大阪版が出てたな)という固有名を思い浮かべ、90年代と言えば福田和也大塚英志宮台真司という名前を連想し、ゼロ年代と言えば宇野常寛の『ゼロ年代の想像力』は文庫になっていたなと思い出すより先に東浩紀の一人勝ちだったんだな、と思ったりしていくのかもしれません。今後は。名前を並べたところで知っていることにも分かっていることにもならないのですけれどもね。

 ついでに言うと、『ニッポンの思想』は丸山真男岩波新書『日本の思想』を意識したものだそうで、『ニッポンの思想』は80年代から始まっているけれど、『日本の思想』を読めばそれ以前の流れを掴むこともできるんじゃないか、と考えている部分もあったりします。

 この本を読んで得たことは蓮實重彦さんの考え方が好みなんじゃないかなかろうかという予感と、社会学の一部で構築主義と言われる方法・スタンスでやったとされる研究を読んだときに感じることもある違和感を言語化してくれた箇所でした。

 「『脱構築』というものが、実のところ本質的には、発見されるものであって導き出すものではない、ということを示しているように思えます。現実にはデリダの手法は、とりわけ文学批評の領域では、ほぼメソッド化していくわけですが、そこではあらかじめ在ることがわかっている『外部』が期待通りに姿を現すという一種の詐術がまかりとおっているといっても過言ではないように思います。」(p.127)