ジョー・ウォルトン『図書室の魔法』下 創元SF文庫

 この本を読もうと思ったのは、上巻を読んだためです。

 「本なんかもらったら、どんなにつまらなくてもいちおう最後まで読み、感想を述べねばならないではないか。」(p.10)

 つまらなくは、なかったです。ただ、この本を紹介するいくつもの文章から感じられるテンションの高まりのようなものには乗れなかった気がします。

 「主人公は自分が狂っているからこう見えるのだと決めつけており、だから読者も、つい惑わされてしまう」(p.170)

 『図書室の魔法』の主人公の視点から見た(ことになる)邪悪なもの、妹の死に関連した母や引き取り手である伯母たちが「本当に」そう見えるのか、そういった人たちなのか惑わされるのは事実です。でも、私がこの本に引き込まれなかったのはそういった部分ではないような気がします。

 「本を心の底から愛したならば本もあなたを愛してくれる」

 上に引用したのは、上巻の帯に書かれている言葉です。この言葉を読んで連想したのが倉田英之さんの『R.O.D.』シリーズでした。

 「この槍は紙である。紙は木から作られる。だから紙を木の槍に変えるのは難しくない。しかし木は、槍になりたいのだろうか?一本の槍が、風を切りながらわたしの頬をかすめた。その瞬間、答がわかったわたしは声をあげて笑った。」「わたしに命中しかけた槍が、一本の木となって路上にすくっと立った。」(p.263)

 TVシリーズ版『R.O.D.』で主人公側のマー姉ことマギー・ムイが読仙社のエージェントと対決するシーンがあります。『R.O.D.』では紙使いという特殊能力が設定されていて、能力者はあらゆる紙を自在に操ることができます。件のシーンは2名の紙使いによる紙の支配権争いの様相を呈し、敵が攻撃に使用した紙の支配権を奪い逆に虎などに形をかえて相手に向かわせたりしていました。

 その紙使いという能力の設定が使用者の紙(本)への想いに紙(本)の方が応えているように見えて、『図書室の魔法』上巻の帯の言葉、上に引用した下巻のシーンなども併せて個人的に勝手に『R.O.D.』の影を感じながら読むこととなりました。

 ちなみに、このシーンで『R.O.D.』を連想するのにはもうひとつ理由があって、アニメDVDのコメンタリで対決に突入する前のタイミングで脚本である倉田英之さんが『指輪物語』のガンダルフに言及しているためです。『図書室の魔法』全編に渡って主人公の少女が『指輪物語』を絶賛していることと影響して連想に繋がったのだと思います。

 「わたしは生きつづけ、ひとりの人間となる。わたしは本を読みつづける。もちろん、この杖を折り、この書物を投げ捨てるなんてまねは、できるわけがない。わたしは生きているかぎり学びつづける。」(p.267)

 『R.O.D.』に出てくる本の虫たちは(少なくとも主人公側は)本を読んで前を向いたり成長したりはあまりしません。彼女たちはダメ人間ばかりです。国会図書館の書庫に匿われてせんべいをかじりお茶をすするような人がエース級です。

 そんなゆるさが好みだから、この本にはそれほど乗っかることができなかったのかもしれないな、と思います。